キハ40系気動車

キハ40系の概要
 本格的気動車列車の始祖であるキハ17系も昭和40年代後半には陳腐化が進み、これに代わる後継気動車が必要となっていました。車体スタイルはキハ45系に似た近郊型車体となりましたが、車体幅は急行型と同じまで広げられ、すそ絞りが行われました。DMH17H機関は以前から馬力不足が指摘されており、一般型のキハ40系でも馬力アップが行われることとなり、DML30系を半分にして発電用となっていたDMF15HS-Gを改良したDMF15HASとし、変速機は新設計のDW10となりました。シートピッチもキハ45系から戻し、急行型と同じ1470mmとなりました。

 キハ40系はキハ40、キハ47とキハ48が登場しました。両運転台車両のキハ40はキハ23のように両開き扉とはせず、キハ24のような片開き扉を両端に置いた車輌になりました。キハ47とキハ48は片運転台車両で47が両開き扉、48が片開き扉でキハ40の片運転台版です。キハ40系の特徴として使用地区とトイレの有無によって細かく番号区分がされている点があげられます。まずキハ40の場合、暖地向けの車両は2000番台、寒地向けの車両は500番台、酷寒地、つまり北海道向けの車両は100番台となっています。一方キハ47と48の場合は暖地向けが0番台、寒地向けは同じく500番台ですが、北海道向けは300番台となっています(キハ47に北海道向けはありません)。トイレがない場合は各地区ごとの区分番台に1000番プラスされます。なおキハ40に0番台がないのは、以前に客車改造のキハ40が存在していたためで、この車両はキハ45が登場する際に旧キハ45とともにキハ08とキハ09に改番されましたが、それらが廃車になったあともそれを引きずって欠番となっています。ちなみにきっかけとなったキハ45は1から順についています。

 昭和52(1977)年にキハ40-100が登場し昭和57(1982)年まで増備され、事故廃車となった1輌を除いて全てがJR各社に継承されました。現在多数見ることのできる最後の国鉄型車両となっていますが、登場時からの問題であった出力不足(機関の馬力は上がった一方で車体重量も増加したため)のため、出力を上げたり機関自体を交換するなどの改造をされたものも多くなっています。また、冷房も北の地方を除いてほとんどに改造が実施されています。しかし廃車もJR東日本管区で始まっており、「国鉄型気動車」の終焉が始まりつつあると言えるでしょう。

改番車輌対照表
JR北海道
キハ40 1700・1800番台
車番から1000を引いた番号へ
JR東海
3000・5000・6000番台
各形式の「JR東海車」へ
JR西日本
3000番台
下の「改造・改番車」各形式へ
JR九州
キハ140・147
そのままの車番でキハ40・47へ
JR九州
キハ47 3000・4000番台
車番から3000を引いた番号へ
JR九州
キハ47 5000・6000番台
車番から5000を引いた番号へ
JR九州
キハ47 8000・9000番台
車番から8000を引いた番号へ
JR九州
キハ40 7000番台
車番から5000を引いた番号へ
JR九州
キハ40 8000番台
車番から6000を引いた番号へ

キハ40系
キハ40-100   キハ40-500   キハ40-2000  
キハ47-0   キハ47-1000   キハ47-500・1500  
キハ48-0・1000   キハ48-300・1300   キハ48-500  
キハ48-1500   キハ40の2500番台は2000番台で、キハ48の
2500番台は500番台でお探しください
改造・改番車
キハ40-300・400   キハ40-700   キハ40-800   キハ40
1000・3000
 
キハ400  
キハ47-2000   キハ47-3000   キハ47-7000   キハ41  
キハ48-700・1700   キハ480   キハ40
JR東海車
 
キハ47
JR東海車
 
キハ48
JR東海車
 


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