交直流近郊型電車

交直流近郊型電車とは
 東北地方や北陸地方の電化が完成した1970年代初頭、これらの路線には次々と電車特急や電車急行が登場しました。しかし普通列車に関しては、非電化当時と変わらず旧型客車による客車列車が主流となっていました。その一方で仙台などの中核都市では人口増加により通勤通学列車の混雑はますます激しくなっていました。こうした背景から普通列車の電車化が検討されるようになりました。当時交直流電車には401系・421系を含む415系がありましたが、耐寒性や乗客の乗降頻度といった点から3扉車は適当ではないと判断され、キハ47のような両開き扉を使用した2扉車の新しい形の電車が出来上がりました。ここに交直流近郊型電車の幕が開けたのでした。
 
417系

 新たな形で1978年に登場した417系は仙台地区に投入され、主に東北本線で使用されました。仙台地区においては交直のデッドセクションがない(最も近いところで黒磯だが、ここは構内で切り替えられるので交流専用車でもよい)にもかかわらず、交直流車として製造された理由は北陸などの豪雪地域で使用する予定であったためでした。そのためボックス席1区画分もの大きな雪切室が設置され、パンタグラフや主抵抗器も耐雪設計のものが使用されていました。しかし1977年に登場した50系客車との比較や諸般の理由のため、わずか5編成15両のみの製造となり、以後しばらくは交直流近郊型車輌が新製されることはなかったのでした。
 
713系

 九州は現在も一部路線を除いて交流電化され、電化当時から421・423系と415系が使用されていました。しかしこれら近郊型車輌も使用範囲は福岡県内とその近辺に限られていました。そのためこれらの路線以外での普通列車は、東北などと同じく客車列車や気動車列車などが使用されており、1970年代末期ごろからは一部の急行型電車もローカル列車の運用に入っていました。しかし混雑が激しいうえ、閑散期においては効率的な運転ができない欠点がありました。そこで2輌単位で使用を前提とし、使用も九州ない限定とした交流電車の製作が検討されたのです。
 すでに交流電車は北海道用の711系がありましたが、耐寒耐雪装備は必要なく扉も急行型のような711系は不適とされ、417系をベースに設計がされました。そもそも交流電車いうのは粘着性がよく、1M方式でも勾配区間の使用が可能であるためこの713系では1M方式をとってクハ+クモハの2輌が基本編成となり、地方幹線にはもってこいの車輌となりました。このような期待をもって1983年に試作の4編成8輌が落成しましたが、折りしも国鉄の経営合理化の嵐により新製車輌の経費削減、余剰車輌の処理により、713系は結局この試作4編成のみとなり、不足分の車輌は715系や717系など改造車により補われることになりました。
 
715・419系

 1967年に登場した電車寝台列車581系も、夜行列車の減少などにより一部は昼間の特急に使用されましたが、座席がリクライニングではないクロスシートであることゆえに次第に余剰気味となっていました。そして1984年に大阪〜九州の夜行列車が583系の運用をやめたため一気に余剰車輌が増えることになりました。その一方、東北、北陸、九州の交流電化区間では普通列車用の電車が不足しているという現実がありました。そこでこの余剰の583系を普通車に改造すると言う一石二鳥の発想が出たのでした。東北と九州では交流区間のみの使用ということで直流機器を撤去し、北陸では両端が直流区間のセクションになっていることから種車の機器を活用した交直流車輌としました。こうして誕生したのが715系と419系です。
 主な改造点はサハネ・モハネの先頭車化、便所・洗面所・デッキの撤去、車端部のロングシート化、扉の増設、歯車比の変更(1:3.57→1:5.6)、715系の場合は直流機器の撤去、その他余分な部品の撤去などです。改造は余分な費用をかけないというのが前提となっており、洗面所の撤去はカバーをかぶせる程度に済ませたり、歯車比の変更は101系のギアを使用するなど、いたるところで倹約が心がけられていました。こうした涙ぐましい努力により1984年に登場し、715系は九州用の0・100番台が12編成、東北用の1000・1100番台が15編成、419系は15編成改造され各地域で活躍を始めました。しかし扉が583系時代と同じ幅700mmの折り戸であることや、寝台車時代と同じ1900mmのシートピッチなど不都合な点も次第にあらわとなってきました。そのため各社で新製交流電車が登場するようになると715系は次々と廃車となり、1998年に消滅しました。もともとこの両形式は次世代の車輌への「つなぎ」として改造されていたため、むしろ長生きであったとも言えますが、北陸本線ではまだ419系がすべて現役で、その特異な姿で活躍しているのを見ることができます。
 
412系

 長く北陸本線の普通列車は電車化から取り残され、1982年ごろ急行列車の特急化によって捻出された急行型車輌による普通電車の運転が始まりました。しかし車輌不足のため依然客車列車や気動車列車が本線を走っていました。そこで登場したのが583系を改造した419系でした。これにより非電化線からの乗り入れ車を除き、すべての列車が電車となりました。しかしその一方で471系の老朽化が問題となっていました。471系は製造から20年が過ぎ、モーターも出力の弱いMT46であったため置換えが検討されましたが、国鉄の民営化が目前に迫った状態のため車輌を新製する余裕はなく、老朽化が激しいのは車体のみで電気機器や台車などはまだ使用できる状態であったため、車体だけを新製する改造車輌とすることになりました。
 412系の改造モデルとなったのは713系です(417系でも同じようですが、機器の配置の関係で違うようです)。これにより乗降がスムーズになり、雪切室の設置でより雪国仕様の車両となりました。また、モーターがMT46からMT54に換えられ、冷房もタネ車のものを流用したため冷房つきで登場しました。抑速ブレーキについてはもともと471系に装備されていなかったため、追加されていません。1986年に登場した413系はJRとなってからも改造が続けられ、10編成が落成しました。この中にはわずか1編成しか製造されなかった473系も含まれ、473系改造の車輌は100番台で区分されています。
 
717系

 715系などにより電車化が完成した仙台地区と鹿児島・日豊の両本線ですが、すでに普通列車に使用されていた急行型車輌の老朽化が問題となっていました。そこで413系と同様に車体更新改造がされることになりました。
 改造内容は、交流区間専用であることから直流機器の撤去、東北用は雪切室の設置、その他は413系と同様です。仙台地区に使用されるのは451系と453系から改造され、前者は0番台、後者は100番台となりました。九州で使用される車輌は475系からの改造で、713系と同様2輌編成を基本としてクモハ716の新形式も登場し、クモハ717とともに200番台を名乗りました。ただし200番台は713系とは違い、従来のユニットを使用しているため1M方式を採用していません。なお、この200番台は冷房を交流専用機に交換したほか、タネ車が475系であること抑速ブレーキつきという違いがあります。1986年に登場し、JRとなってからも改造が続けられた717系は0番台と100番台はそれぞれ5編成ずつ、200番台は7編成が改造されました。しばらく時を隔てて、1995年には457系を改造した900番台が鹿児島に登場しました。この900番台は200番台と同様に2輌編成で使用できるようにしたのですが、車体はそれまでの717系とは違い、タネ車である457系の車体中央に両開き扉を増設した3扉車という特異なスタイルとなりました。

 (空欄が多い点はご了承願います 判明しだい順次更新してゆきます)


交直流近郊型電車
クモハ417
クハ416
クモハ413
クハ412
クモハ419
クハ419
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