昭和37年に登場した111系(のちの113系)により3扉セミクロスシート車が中距離輸送に適することがわかり、東海道本線に続き東北本線や高崎線でも使用する声が高まりました。しかしこの両線は連続する勾配があり、111・113系のブレーキではやや問題がありました。勾配が続く区間においてブレーキをかけ続けるのは制輪子や車輪の磨耗を起こすため、これを防ぐためにブレーキの弛緩・緩和を繰り返さなければならず、運転や乗り心地の上から問題とされました。この問題を解決するために登場したのが勾配抑速ブレーキで、モーターによる弱いブレーキ力で速度を一定に保ち安定した走行を行えるものでした。113系にこの勾配抑速ブレーキを装備し、さらに寒地での使用に耐えられるよう耐寒装備を施したのが115系です。
昭和38年に登場し昭和57年まで生産が続けられ、その後も数々の改造車が登場したためひとえに「115系」と言っても様々な部分で違いがあります。また、番号区分も113系よりも複雑なものとなり、番号から単純に生産年を推測するのはやや困難となっています。特にコンプレッサーの有無による番号区分は複雑で、0番台では区分なし、300番台は偶数奇数、1000番台以降は100番単位で改造車についてはそれぞれの車輌でルールが異なります。
115系は前述のとおり東北本線、高崎線用として登場しましたが、やがて電化地方幹線の主力として生産されるようになりました。そのため短編成で使用されることが多く、全車輌数に対してクハやクモハといった先頭車の比率が113系よりも高くなっています。国鉄末期には短編成化のためにモハやサハ、さらには113系から改造されたクハやクモハが登場し、この傾向は現在も続いています。現在115系はデビューの舞台となった東北・高崎の両線からはほぼ引退し、もっぱら地方の中核都市を中心とした地方幹線で活躍をし続けています。これは生産された時期が2極化していて昭和50年代に生産・改造された車輌が多いこと、勾配抑速ブレーキ・耐寒耐雪装備があること、短編成が可能であることなどが理由にあげられると思います。これはJR発足時と現在を比較した車輌減少率が113系よりも低いことからも言えることでしょう。
(空欄が多い点はご了承願います 判明しだい順次更新してゆきます)
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