準急日光として成功したキハ55により、気動車も本格的に優等列車を設定することが考えられるようになりました。しかし優等列車には3等車だけではなく2等車を連結する必要がありましたが、当時気動車で2等車はキハ17系のキロハ18しかなく、客室設備も3等車と大して変わりない状態でした。それで1958年に登場したのがキロハ25です。
キロハ25はまず2等車の客室設備を改良し、2人がけのシートとそのシートごとに1段上昇窓を設けました。また、キロハ25の最大の特徴がトイレと洗面所、そしてエンジンの位置が通常の気動車と逆になっていることでした。つまり前側(運転台側)にトイレなどがあり、後ろ側にエンジンと動台車がつけられていました。これは1等車を前側に配置したためで、1等車の利便性をよくするためと、騒音と臭いの軽減を図ったものです。3等車のほうはキハ26や55と同じで、窓は1〜5が0番台と同じバス窓、6〜15が100番台と同じ1段上昇式になりました。
このようにして準急として活躍することになったキロハ25ですが、1961年にキハ58系が登場して気動車急行網を形成し始めると次第に影をひそめ、準急自体も急行となったり廃止されたりしてゆきました。急行として活躍したものもありましたが、冷房化が始まると設備が陳腐化していたキロハ25は、キロ25とともに冷房対象外とされ、キハ26の300番台に格下げされました。ちなみに1960年から3等車は2等車となり、2等車は1等車に格上げされ、この1等車は現在グリーン車に改称されています。
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