準急「日光」としてデビューしたキハ55は優等気動車列車の草分け的な存在でした。しかしこのデビューで登場した1〜5のキハ55はキハ17の車体幅を広くしただけの感じで、改良が必要がありました。そこで6からは全面窓の拡大、タイフォンの数と位置の変更、前照灯の大型化、室内灯の蛍光灯化などの改良が行われ、さらに16からは台車をDT22に変更し、乗り心地や保安性を確保し、独特の前面形状を確立しました。
これら0番台はキハ17系と同じくバス窓を使用していましたが、100番台からは1段上昇窓に変わり、ようやく優等気動車のスタイルが確立することとなりました。このように着実に準急網を広げ、優等列車として活躍していましたが、キハ58系の登場により登場からわずか5年ほどで日陰の存在となってしまいました。その後準急が格上げ、または廃止されるとキハ55も急行の運用に就くこともありましたが、しだいに普通列車となることが多くなり、首都圏色への変更がされ始められたころから廃車が始まりました。全車が廃車になったのは1987年で、JRに承継されることなく消えてゆきましたが、この最後のキハ55に2が残っていました。
このキハ55-2はもちろん準急「日光」でデビューした最初期グループの車輌ですが、廃車時の前面窓は量産型と同じサイズでした。それは事故による前面復旧工事をした際に変わったもので、タイフォンは原型のまま屋根上にありました。このような事情の前面形状の変更はクハ165-3にもあります。
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