気動車化が進むにつれ、それまで客車によって行われていた荷物輸送も気動車で行われるようになり、キハユニといった形式の車輌が登場しました。しかしキハユニという形式では荷物は多くて5t程度しか運べず、郵便車も同居しているため郵便輸送がなければ無駄な輸送となる場合もありました。特に気動車化が進んだ地方幹線ではこの傾向が強く、全室荷物車の登場が待たれていました。
一方、キハ17系内では中間車輌の問題が発生していました。キハ17系が登場した当時はまだ、気動車を電車のような固定編成で使用するという考えであったため、運転台のない中間車輌が製造されてました。その中でも電気式気動車がルーツであるキハ19と、見劣りのする2等車を持つキロハ18は数も少なく、運転上も好ましくないことからこれらの車輌を改造することになり、全室荷物車「キニ」へと改造されてゆきました。
キニ15はキロハ18から改造された車輌です。キロハ18から改造された車輌にはキハユ15がありましたが、キハユが前側、つまり2等車側に運転台を設置したのに対しキニ15の場合は後ろ側に運転台を設置しました。これはトイレが前側にあり、このトイレを残すためでした。前面形状は独特のもので切妻の非貫通、おでこの部分の埋め込まれたヘッドライトなど103系や最近の115系などに見られるスーパー改造のような面構えとなっています。荷物扉は大形のものが2ヶ所設置され、旧2等車側の扉も車掌室用の扉として残っています。
キニ16は電気式気動車キハ44200を液体化したキハ19からの改造で、常磐線の荷物輸送用に改造されました。荷物扉はキニ15と同じく2か所ですが、もともとの乗降扉は撤去されました。また、前面形状は切妻ながらも貫通型となり、ヘッドライトも完全な埋め込み型にはなっていません。昭和39年に4輌が改造されましたが、1エンジンのため速度が遅く、他の列車の足を引っ張るおそれがあるためわずか1年でキユニ19へ再改造され別の路線に移りました。
キニ17は元祖全室荷物車であるキニ05の置き換え用として改造されたもので、タネ車はキハ17です。改造内容はキニ15とほぼ同様で、後ろ側の乗降扉が残されています。もちろん、前面はキハ17のままですが、踏切事故対策の前面補強が追加された車輌もありました。
キニ19はキニ16に改造されなかったキハ19から改造された車輌でキニ17と同じ目的で改造されました。改造内容はキニ16とほぼ同じで前面形状も同じですが、車掌室を運転台後ろから後ろ側に移動したため、乗客用扉を乗務員扉として残しています。キニ19は5輌しかいなかったキハ19からキニ16に改造されなかったわずか1輌のみの改造となっており、目立たない存在となっていました。
キニ55はキニ16と同じく常磐線荷物輸送用に登場した車輌で、キニ16での出力不足の反省から2エンジンのキハ51から改造されました。このキニ55の登場によりキニ16は常磐線から追われることになりました。その後常磐線にはキニ56、キニ58といった2エンジン荷物車が次々投入されましたが、これは常磐線が交流と直流の区間があり、交直流の荷物車を製造するにはコストが高くつくため改造気動車が使用されていたのです。このような特殊な事情により、キニ55はキハ17系の中ではもっとも長生きし、昭和59年まで活躍しました。
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