キハ44000(キハ09)とキハ44500(キハ15)の比較試験により、気動車の動力伝達方式が「液体式」に決まり、本格的な液体式量産気動車として登場したのがキハ17です。
キハ17では長い編成を組むことができるようにするためキハ09などで使用されていた湘南型の前面形状をやめ、貫通型の前面形状に変更しました。次に、それまでの気動車は排気ガスを自動車と同様に床下から排気をしていましたが、ホーム停車時などでは問題があったため客室内に排気管を立ち上げて屋根上に排気する方式へとなり、ごく一部の例外を除きこれが以降登場する気動車の排気方法の原則となりました。また、トイレも設置され、トイレ用の水タンクはトイレの向かい側に設置されました。これは床下や屋根上にタンクが設置できないための苦肉の策でした。客室はすべてクロスシートでしたが、206以降は混雑緩和のため乗降口付近の一部分のみロングシートに変更されました。
生産は昭和28年から32年までの4年間ですが、そのわずかな間に402輌もの数が作られ、一大気動車網の形成に寄与することになります。キハ20系の増備が始まってもキハ17の天下はしばらく続き、臨時準急にまで使用されていました。昭和40年代後半には郵便荷物車に改造されたものもありましたが、エンジンの換装やシールドビーム化、DT22系への台車の交換といった改造により性能を維持し、本格的な老朽が始まる昭和50年代初頭まで活躍を続けました。
ひとつの時代を作ったキハ17ですが、こうした車輌は皮肉にも急速に消えてゆくものであり、とうとう保存されることもなく消えてゆきました。わずかな車輌が島原鉄道や関東鉄道に譲渡されましたが、前者は
昭和62年に廃車となり、後者は譲渡後すぐに車体を新製してのちに下回りも改造したためもはやその原型はなくなっています。今となっては写真や記憶のみに残るキハ17ですが、気動車の基本スタイルを築いたという点では偉大な功績を残したといえるでしょう。
(キハ17の旧番と新番には一部ずれがあります)
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旧番号
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新番号
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キハ45000〜45325
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キハ17-1〜326
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キハ45326〜45338
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キハ17-332〜344
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キハ45339〜45341
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キハ17-327〜329
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キハ45342〜45361
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キハ17-345〜364
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キハ45362〜45363
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キハ17-330〜331
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キハ45364〜45401
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キハ17-365〜402
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