気動車にとっては25‰の勾配は急勾配であり、その速度も25km/h程度しか出すことができず勾配の克服が課題となっていました。この問題を解決するにはエンジンの出力を強くするか、車輌1輌の出力を増やすかのどちらかでした。エンジン出力については床下スペースや技術的な問題から容易なものではなく、既存のエンジンを2基搭載することとなりました。こうして登場したのがキハ50なのですが、このキハ50は床下機器の儀装の都合上全長が22mにまで長くなってしまい、使用路線が限られてしまうことになりました。そこで床下機器、特に冷却装置の小型化が行われ、このキハ51で使用されました。そのため全長は20.6mまで短縮されたほか、トイレも設置されました。昭和31年に製造されたキハ51は早速関西本線や御殿場線といった勾配路線のほか、日光線乗り入れの快速(のちに準急化される)に使用されましたが、同年9月に車幅が拡大されたキハ55の登場により生産は20輌で打ち切られました。やがてキハ58系が登場するようになるとローカル輸送が主体となり、最終的には盛岡、郡山、富山に配置され勾配に挑んでいました。2エンジン車ということもあり、他のキハ17系旅客車の中では最後まで残ったグループとなりました。
|