現在非電化路線といえば乗客の少ないローカル線というイメージが強いのですが、1960年代では多くの路線が電化されていない状態でした。もちろん乗客も多く、通勤ラッシュもあり、客車列車、気動車列車問わず混雑していました。そのような通勤路線に登場したのがキハ35なのですが、その使命はやがて矛盾を秘めたものとなってゆきます。
キハ35はトイレ付の片運転台車で系列の車両の中で最も多く生産されました。ロングシート車ですが、トイレの前の部分は羞恥心を考慮して2人がけのクロスシート(前方向き)になっています。その活躍の場は大都市近辺の非電化路線にとどまらず、中小都市間の輸送にも及んでいます。また、寒冷地の新潟には通風器を押込み型に変えた500番台が配備され、海沿いの房総半島には国鉄初のステンレス車体とした900番台が無塗装の銀ピカで登場しました。配置が比較的広い範囲でされてゆくことになったため、各地でさまざまな改造がされることになりました。例をあげると、ある意味特徴となっている踏切事故対策の前面補強や、寒冷地に配置された車輌のタイフォン移設などがあります。
しかしこのように輸送量の多い路線は1970年代に入ると次々と電化されてゆき、キハ35など通勤車はその余波をまともに食らう形となり、全国各地に散ってゆきました。各地に散ったキハ35はローカル線の混雑輸送に役立った反面、ロングシートであるがゆえに決して好かれる存在ではありませんでした。やがてこれらのローカル線も旅客減により片運転台のキハ35は活躍の場を失ってゆきました。キハ35としてJR最後の活躍の場は八高線でした。
そのような中、国鉄民営化直後に廃車になったキハ35などが関東鉄道に譲渡され、各種の改造を受けたのち現在も新型車に混じって最後の活躍をしています。
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