キハ17系は片運転台のキハ17が中心に製造されましたが、キハ20系では両運転台のキハ20を基本に開発がされました。初期のバス窓車、0番台でもその数は103輌になり、200番台、500番台と改良を重ねてゆきました。また、簡易荷物車にも改造され、多くは0番台からの改造でしたが200番台からの改造は650番台に細分されました。
北海道を除く全国で活躍し、どこでも見ることのできる車輌でしたが、経年によりキハ17系の廃車が大詰めを迎えた1980年ごろから廃車が始まりました。JRにも継承され、その中には0番台も含まれていましたが、ローカル線の廃止、老朽、非冷房、DMH17C機関により騒音と臭い(床に点検蓋があり、そこから臭いや音が漏れてくる)、さらにはパワー不足から次々と廃車されてゆき、1993年にJR線から姿を消しました。しかし私鉄に譲渡されたり、台車などの機器を流用した車輌が作られるなど、現在でもその姿を見ることができます。
私鉄に譲渡された車輌は冷房化などの改造を受けましたが、車内や外見に大きな変化がなくキハ22に比べ原形を保った車輌が多くあります。特に島原鉄道では塗装も一般色、首都圏色、島原旧色、島原現在色とさまざまで、出会う確立も多い路線となっています。けれどどの私鉄でも老朽や体質改善のため廃車が進み、キハ20を見ることができるのもあとわずかなのかもしれません。
|