キハ07車輌概要

キハ07について
 キハ41000によって本格的に使用され始めた気動車は、地方のローカル線だけでなく大都市周辺の非電化路線でも使用される ようになりました。しかし非電化路線とはいえ、収容力の少ないキハ41000では輸送力はまかないきれず、重連・3重連が常態化 してしまい、結局非合理的な運用となってしまいました。そのためキハ41000よりも大型の新型気動車を開発し、登場したのが キハ07の全身であるキハ42000です。
 キハ42000が登場した当時は世界的な流線型ブームで、日本でもこの流れで国鉄 (鉄道省) のみならず私鉄でも流線型の車輌が 登場しました。国鉄ではC55やEF55、クモハ52などがそれで、キハ42000もこのブームの影響を受けた車体となりました。しかし C55などに比べると簡単なもので、前面窓を6枚にし運転台を半円状にしたのみで傾斜はつけられておらず、国電などで見られる 「半流形」を拡大したような感じとなりました。見劣りする流線型でしたが、風洞実験では一応流線型の効果は実証されています。 車体はキハ41000よりも3500mm長くして扉も3つとしました。エンジンもシリンダを8気筒とし、150馬力にアップしたGMH17 ガソリンエンジンを搭載しました。客室はキハ41000のときと同様に軽量化のため座席の背ずりを低くするなどしたほか、 台車には円錐コロ軸受け (ベアリング) を使用するなど走行抵抗の軽減にも配慮されました。

 登場した昭和10年 (1935年) の6月には高速度試験が行われ、最高速度108km/hを出して先行していた特急燕に追いつくという 快挙を成し遂げると同時に、気動車の有能性を大いにアピールすることとなりました。またこの試運転では2種類の塗装が披露 され、アンケートで標準色が決定されました。このとき決定したのが上を黄褐色、下をコバルトブルーとした「鉄道省色」とか 「旧標準色」と呼ばれた色で、落選した色はクモハ52で使用されたものと同じで、塗り分けは上がクリーム色、下を茶色と しました。華々しいデビューをキハ42000ですが、戦争の激化により燃料統制が厳しくなり、稼働率は年々低くなってゆきました。 一部の車輌は9600機関車やC51、キハ40000などとともに中国で使用するために標準軌に改軌したうえで供出され、さらに昭和15年 (1940年) 西成線 (現在の桜島線) 安治川口駅で発生した脱線転覆火災事故によりとどめを刺された形となりました。この事故に よりガソリン動車の危険性が浮き彫りとなり、このことは戦後のディーゼル化へとつながってゆきます。太平洋戦争が始まると 稼働率はますます低下し、昭和20年にはとうとう全車が気動車として使用されなくなりました。少数が客車として使用されましたが、 大半は休車扱いとなり、倉庫として使用されたものもありました。
 戦後も燃料が入手困難な状況が続いていたため、稼働率は低い状況でした。ようやく昭和24〜5年ごろに動き始める車輌が増えて きましたが、戦時中の酷使により車輌の荒廃も激しく、本格的に使用できない状況でした。とりあえず燃料事情を改善するために 登場したのが天然ガス動車でした。これは燃料を新潟や千葉で産出する天然ガスとしたもので、小規模な改造で済むこともあって 22輌が改造されました。しかし費用がガソリン動車の2倍、ディーゼル動車の10倍と高く、燃料事情が改善されるとエンジンの 老朽化もあって次々とディーゼルエンジンに取り替えられました。
 戦後の混乱も落ち着いてきた昭和27年には若干の設計変更をしたキハ42600が登場しました。これは登場時からディーゼル エンジンとし、車体も溶接を多用しヘッドライトや客室扉などが特徴となっていました。戦前製のキハ42000グループもこの頃から ディーゼルエンジンに換装してキハ42500に改番し、ようやく本格的な復活を果たしてゆきました。なお、キハ42000の製造数は 65輌ですが、前述の外地への供出のほか戦災による廃車や地方鉄道への譲渡により、ディーゼル化されたのは43輌となっています。
 昭和32年の称号改正によりキハ07形となりましたが、液体式のキハ17系やキハ20系の登場により総括制御ができない機械式の 旧キハ42500は地方のローカル線へと転じて細々と活躍を続けていました。1960年代に入ると老朽化もあって廃車が始まり ました。一方戦後製のキハ42600は車齢が若いこともあり、半数以上の車輌が液体変速機を搭載して総括制御を可能として キハ07-200番台に改造されました。そして機械式の0番台は昭和44年 (1969年) に国鉄線から姿を消し、液体式となった200番台も 昭和45年 (1970年) に姿を消しましたが、譲渡された地方鉄道では液体化や車体の更新などによりその後もその活躍を見ることが できました。原型は崩れていましたが、鹿島鉄道のキハ601・602が最後の営業用のキハ07となり、2007年3月31日の同鉄道の 廃止によりその長い歴史に幕を閉じました。


キハ07性能 (旧キハ42500 ディーゼル化後)
全長
全幅
全高
重量
定員
19694mm
2627mm
3590mm
25.8〜27.2t
96人※1
エンジン
出力
変速機
便所
台車
DMH17×1
150馬力
前進4段・後退1段
なし※2
TR29
製造期間
製造輌数
消滅年
デッキ
保存
1935〜37年
43輌※3
1969年
なし
あり
※1 定員の内訳は座席68立席28 立席定員を52人とするものもあり
※2 晩年設置された車輌もあり
※3 キハ07としての輌数 キハ42000の製造数は65輌

キハ07性能 (旧キハ42600)
全長
全幅
全高
重量
定員
19716mm
2728mm
3610mm
27.4〜27.8t
96人※1
エンジン
出力
変速機
便所
台車
DMH17×1
150馬力
前進4段・後退1段
なし※2
TR29
製造期間
製造輌数
消滅年
デッキ
保存
1952年
20輌
1970年※3
なし
なし
※1 定員の内訳は座席72立席24
※2 晩年設置された車輌もあり
※3 200番台としての消滅・100番台は1966年

関連車輌
キハ01
キハ04
キユニ07