キハ01車輌概要

キハ01について
 昭和28年に登場したキハ45000系 (のちのキハ17系) によってローカル線の運転は合理化され、運転本数も増えるなど大きな効果を与えました。けれどもこれらの気動車を導入しても苦しい経営を強いられる路線が残っていることも事実でした。一方で戦時中「不要不急路線」として休止に追いやられた路線の復活が各地ではじまったものの、大きな赤字を生み出すのみの路線となっていました。そうしたローカル線のなかのローカル線のために登場したのが「レールバス」と呼ばれることとなるキハ10000 (のちのキハ01) だったのです。

 このキハ10000を使用するモデル路線として選ばれたのは東北本線の白河と水郡線の磐城棚倉の21kmを結んでいた「白棚線」です。この路線は昭和16年に国鉄に買収されたものの、昭和19年に不要不急路線として休止され、戦後もずっと休止状態が続いていました。この路線を復活させるにあたり、経費削減と合理的な運転のためレールバスを導入しようという運びとなったのです。けれどもこの白棚線復活は実らず、昭和31年には正式に線路跡をバス専用道路とし、国鉄バスが運行をすることが決定されてしまいました。
 しかし白棚線の復活はならなかったもののレールバスの開発は続けられ、1954年(昭和29年)に白棚線用として進められていた図面に多少の修正を加えたキハ10000が誕生しました。その大きさは気動車ではもちろん、今までの鉄道車輌においてもかなり小さくまとめられました。特に全高は大変低く、客室内は2mにも届いていません。また、ローカル線の経費削減のために登場したということもあり、車体の各部品はバスと同じ、または多少の改良を加えられたものが多用されていました。使用されたのは窓錠、室内灯、ワイパー、警笛のような小型のもののほか、エンジン、ブレーキ、変速機など基幹部品にまで及んでいます。扉は前後の2ヶ所で、引き戸ではなく折り戸(手動)としていました。扉を運転台の脇に配置したため、運転台は国鉄型気動車としてはじめて中央に設置され、前面形状は路面電車のような3枚窓となりました。
 1次車のキハ10000から10003は白棚線導入予定車として製造されましたが、計画の頓挫後は木原線 (現いすみ鉄道) で使用されおおむね好評でした。しかしラッシュ時には乗客を乗せきれず、やむなく重連としても積み残しを出すというキハ01、02、03の決定的な欠点が露呈することになりました。この1次車のうちキハ10003は、レールバスが特に閑散路線の多かった北海道での使用に耐えられるかという試験のため冬の北海道へ渡り、貴重なデータを生むことになりました。

 このキハ10003の試験結果と木原線での使用結果から、2次車では座席配置をオールクロスシートから出入り口付近をロングシートとして混雑の緩和を図り、勾配区間や積雪時の抵抗に考慮しエンジンを75馬力のDS22に変更しました。また、それまで暖房はエンジンからの廃熱を利用した温気暖房でしたが、北海道での寒さには無力で別に軽油燃焼式の暖房 (ウェバスト式暖房) も取り付けられました。寒さ対策は客室のみならず、床下機器や前面窓、タイフォンにも行なわれ、床下機器にはカバーが取り付けられました。2次車はキハ10011までの8輌が製造され、昭和32年の改番でキハ01の50番台に区分されました。2次車は当初の予定通り北海道に配置されましたがやはり耐寒装備は貧弱で、キハ22などが製造されるようになると比較的温暖な地域や本州へと移ってゆきました。


キハ01 (旧キハ10000〜10003) 性能
全長
全幅
全高
重量
定員
10900mm
2602mm
3051mm
10.5t
52人※
エンジン
出力
変速機
便所
デッキ
DS21×1
60馬力
前進4段・後退1段
なし
なし
製造期間
製造輌数
消滅年
保存
1954年
4輌
1963年
なし
※ 内訳は座席40・立席12 座席配置はクロスシート

キハ01-50番台(旧キハ10004〜10011) 性能
全長
全幅
全高
重量
定員
10900mm
2602mm
3051mm
10.4t
52人※
エンジン
出力
変速機
便所
デッキ
DS22×1
75馬力
前進4段・後退1段
なし
なし
製造期間
製造輌数
消滅年
保存
1955年
8輌
1966年
なし
※ 内訳は座席36・立席16 座席配置はセミクロスシート


関連車輌
キハ02
キハ03
キユニ01