惜別 鹿島鉄道

 2007年3月31日、鹿島鉄道が83年の歴史を閉じました。「廃止になる」ということは1年以上前から言われていましたが、 なぜか楽観的に考えていました。しかしテレビ東京系の番組「ガイヤの夜明け」で放送された地域住民との温度差には愕然とし、 廃止が現実的であることがはっきりとわかりました。確かにこの報道がなされる以前に乗車した際、乗客が私のほか数人という こともあったことも事実で、その一方で毎時1本は確実に列車があるダイヤでした。大きな転機は沿線にある百里基地への燃料 輸送がトラックに切り替わったことで、これにより大幅な収入減となりました。これに止めを刺したのが関東鉄道からの補助が 打ち切られたことで、さらに設備の老朽化やATSなどの保安設備の改良、そして利用客の減少など支出は増えても収入は 減るばかりという状況であり、事業継承者の募集をしたもの該当者なしという結果で廃止という選択となりました。一方で 鹿島鉄道の存続を願う団体が数多くあったことも事実です。なかでも「かしてつ応援団」は沿線の中学・高校の生徒 (鹿島鉄道 利用者) による存続団体で、駅の清掃やイラストを描くなど特に目立つ活動もしており、将来性のある利用客が存続活動を するという極めて有効性の高い運動であったため、廃止という結果は極めて残念でなりません。
 廃止となる数年前からはドラマやプロモーションビデオのロケ地にも登場するようになり、「あれ、この鹿島鉄道じゃないか?」 ということもありました。当資料室でも コラム034で紹介した柴田淳さんの「花吹雪」のプロモーションビデオのほか、2005年7月からテレビ朝日系列で放送されて いたドラマ「はるか17」でも登場しました。ほかにも多数ロケ地に使用したドラマ、映画、PV (プロモーションビデオ) があり、 その詳細はWikipediaのページ に掲載されています。
 鹿島鉄道の特徴と言えば、年期物の車輌でしょう。軽快形気動車も導入されていましたが、数時間粘れば必ず何らかの貴重な 車輌に乗車することができました。いずれも菱枠形と呼ばれる戦前の気動車に使用されていた台車を使用し、エンジンはキハ20系 以前のものでした。湘南形の顔立ちの車輌が3輌、戦前生まれの車輌が2輌と、博物館にいてもおかしくないような車輌が現役で 走っていたのでした。速度は60km/h程度しか出せなかったのですが、短尺レールを使用していたためジョイント音の間隔が短く、 それなりの速度で走っているような錯覚に陥りました。ローカルムード満点の車輌に対し、ほとんどの駅舎はコンクリート造りか 簡単なログハウス風に立て替えられたものになっていました。ただ、終点の鉾田駅はあまり手が加えられておらず、関東の駅 百選に選ばれていました。駅のほとんどが無人化されていましたが、常陸小川・玉造町・鉾田の有人駅では硬券の入場券・ 乗車券が購入でき、石岡駅では乗り換え口で昔ながらのパンチで穴を開ける車内補充券が発売されていました (JR石岡駅改札から 乗車した場合は券売機の切符となっていました)。硬券はともかく、パンチで穴を開ける車内補充券が確実に手に入れることが できることでも貴重な路線でした。
 室長は結局鹿島鉄道には4度乗車しましたが、もっと乗っておけばよかった、というのが感想です。「なくして初めて気がつく」 とは言いますが、なくなるということが現実的にならないとこうしたことはわからないとつくづく感じることになりました。 最後の訪問は廃止間際のごったがえす状況の前に行ったのですが、それでも一般の観光客が増え、それなりの賑わいとなって いました。「存続になるのは反対だが、廃止になるのなら乗っておこう」という興味本位の声が聞こえなかったのが、せめてもの 救いでした。
 最後になりましたが、室長も鹿島鉄道の画像をいくらか撮影しておりますので、車輌と駅の2分野で公開いたします。小さい画像 のほかにも多数ございますので、公開をはじめたキハ07の履歴とともにご覧下さい。
車輌





きはゆに室長