キハ58系「急行アルプス・八ヶ岳」発売記念特集 その3 |
急行「アルプス・八ヶ岳」について | ||||||||||||||||
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F模型-キハ65-500の考察 | ||||||||||||||||
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G富士急のキハ58について | ||||||||||||||||
富士急への国鉄列車の乗り入れは意外と古く、1938 (昭和13)年に設定された行楽列車に始まります。戦争により一時中断されるものの、
1949 (昭和24)年に
復活し、朝夕の通勤電車もこの時期に登場しました。けれどもこれはすべて国鉄の車輛によるもので、富士急の電車が国鉄線内に乗り入れることでは
なかったのです。また、これらの列車は国鉄の電車に併結する形をとっていたため優等列車とはならず、観光列車としては不満がありました。
そこで優等列車である急行「アルプス」に併結するべく、電車のみの鉄道でありながら気動車を保有することになりました。 まず最初にキハ58001とキハ58002が1961年12月に製造され、翌62年4月14日に運転が開始されました。この2輌は国鉄のキハ58と同一設計となっており、 キハ58タイプの自社発注車は富士急のみです。当初はこの2輌のみで運行をしていましたが、1963年4月に増備車としてキハ58003が製造されました。 このキハ58003は予備車として設計されたため、向きの異なるキハ58001、58002のどちらにも連結できるように両運転台で製造されました。両運転台と したものの、その分定員を減らすわけにもいかないのでトイレと洗面所なくし、前後のデッキと乗降扉を狭くするなど苦心が払われました。両運転台の キハ58系はその後1986年にキハ53-500が登場するまでなく、珍車としても有名でした。 しかし「アルプス」の大部分が電車化されるとその価値は薄くなり、わずかに残った気動車急行のダイヤは当初の観光列車にはそぐわないものとなり、 観光列車自体も国鉄からの急行型電車の乗り入れで済むようになってきました。細々と残っていた富士急の気動車急行「かわぐち」も1975年の「アルプス」 完全電車化により廃止となり、とうとう富士急において存在意義はなくなってしまいました。 そこで同年に有田鉄道に3輌とも譲渡されたのですが、それまでキハ07-200を使用していた線路にヘビー級のキハ58を走らせることに待ったがかかり、 実際に運行を開始するのは翌1976年からとなりました。有田鉄道に入線するにあたり改造されたのはキハ58001と58002の洗面所とトイレが撤去された程度で、 もともとこれらの設備がなかったキハ58003についてはそのままの姿で使用されました。この有田鉄道は中央本線とは正反対の環境で、完全な平坦線においては 山岳線で威力を発揮する2エンジンは無用の長物でした。そこで1980年に片方のエンジンを取り外し、1エンジンとする改造が行われ、世にも奇妙な 1エンジンのキハ58が誕生することとなりました。 有田鉄道では朝夕のラッシュ時にキハ58001+002の2輌が使用され、それ以外の時間帯はキハ58003の単行となっていました。有田鉄道の路線は終点 金屋口から国鉄との連絡駅である藤並までですが、朝2本と昼・夕方の1本ずつは隣の湯浅駅まで国鉄線内に乗り入れていました。しかし旅客・貨物ともに 減少し、1992年には湯浅乗り入れが廃止されたため、 経営合理化のため1994年に樽見鉄道からハイモ180が入線するとキハ58003は予備車として 残ったものの、キハ58001と002は廃車となりました。予備車とはいうものの実際に動くことは極めてまれで、それ以前に列車の本数がなくなくなり、 「平日は運転しない日本一本数の少ない鉄道」となった有田鉄道は2002年12月31日に廃止となりました。予備車となってから半ば放置され続けた キハ58003ですが、奇跡的にも解体は免れその後整備がされ、自力走行が可能なまでになりました。現在も有田川鉄道交流館に保存されています。 |
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H模型-富士急のキハ58の考察 富士急のキハ58001と58002が製造されたのは1961年12月。これを国鉄のキハ58にあてはめると71〜114の昭和36年度本予算(残)に該当します。また、 この2輌は日車製なので、71〜80あたりと同じ時期に製造されました。したがってこの2輌はキハ58-400よりも古い車輛となります、キハ58-400(初期)と キハ58-0の外見上の違いは乗降扉の丸窓の有無程度であとはほぼ同じ外見となっています。製作年次の分類ではキハ58001、002の扉には丸窓はないはず なのですが、不思議と1968年当時の写真でも丸窓がある扉が使用されています。 一方、キハ58003は1963年4月の製造なのですが、ちょうどこの時期に400番台が登場しました。そのため何日に製造されたかがわからない限り 0番台になるのか400番台になるのかが判別できません。また、0番台において1963年4月に日車で落成したキハ58は293〜297と401・402があり、まさに 番号区分変更の真っ只中に誕生した車輛なのです。 |
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