キハ58系「急行アルプス・八ヶ岳」発売記念特集 その1 |
関西在住の身にとっては急行「アルプス」はあまりなじものない列車ではありますが、関東の方、登山やスキーをされる方には 結構有名で思い入れのある列車のようです。一方、気動車という観点からはまさに勾配との戦いを物語る車輛の宝庫で、最先端の車輛や 珍車など、話題に事欠きません。 このような「アルプス」が模型化されるとなると、やはり解説をしないわけにはいきませんよね (誰も リクエストしていませんが...)。というわけで急行「アルプス」を中心に特集を組みましたのでご覧ください (若干付け焼刃なところは あるかもしれませんがそこはなんとか...)。 |
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@急行アルプスについて 急行「アルプス」は新宿から中央本線、篠ノ井線を経由し松本へと向かう列車として1960年4月25日に誕生しました。「アルプス」という列車名自体は それ以前から客車準急としてありましたが、気動車化と同時に急行に昇格しました。 誕生当時は気動車としてはまだ珍しく 「急行」として設定され、これに使用された車輛はキハ55系でしたが、それまでの準急色とは異なる急行色で登場しました。これはすでに急行「みやぎの」 「しなの」で使用されており、いわゆる「気動車急行色」のもとになったものですが、窓から運転台の部分の赤色が連続している「旧急行色」でした。 なお、この「アルプス」編成をそのまま使用した準急「第1・第2白馬」がありましたが、差別化のためかこの列車は全席指定席となっていました。 1961年10月のダイヤ改正により、急行「アルプス」がキハ58系に変わりました。当初はキハ55系当時と同じく1等車以外は2エンジン車となっていましたが、 編成が長くなり勾配のきつい中央本線において1等車を2輌連結するに至り、1等車も2エンジンとして編成出力を高めることになりました。こうして 誕生したキロ58は「アルプス」には欠かせない車輛として有名になりました。しかし2エンジンのキロ58は冷房化に際し、大きな問題となりました。 同じ1等車であるキロ28やキロ27については比較的早くに冷房化が行われたのに対し、キロ58は床下に余裕がないため冷房用の発電機が搭載できず、 3輌に給電ができる車輛が出るまで1等車にもかかわらず非冷房のままとなっていました。 この急行「アルプス」にはもうひとつある特徴がありました。それは富士急行が自社発注したキハ58の併結です。現在でも中央快速の電車が富士急行に 乗り入れますが、当時非電化だった中央本線から都心へ直通運転を図るため1961年のキハ58系置き換えにあわせて導入されました。これは唯一の私鉄の キハ58系ということだけでなく、両運転台のキハ58という珍車の存在という点でも有名でした。これはキハ58003で、予備車という位置づけでしたが、 その使用の際にどちらの車輛の代わりにも使えるように両運転台とされました。国鉄末期にキハ58系から改造されたキハ53が登場するまでは、このキハ58003が 唯一の両運転台のキハ58だったのです。 1965年、急行アルプスに大きな変化が訪れます。同年5月に中央東線が全線電化され、7月のダイヤ改正により「アルプス」の大部分が電車化 (165系) されたのです。それでも気動車急行の「アルプス」が残ったのは、気動車ならではの理由がありました。急行「アルプス」は新宿〜松本の列車だけでなく、 前述の富士急行乗り入れの「かわぐち」や、小海線や大糸線の非電化区間を経由する列車も併結されており、これらの列車のために数本の「アルプス」は 気動車のまま残ることになりました。また、当時はこうした方面別のほかにも、もとの列車名を承継した松本方面の急行などもあり、この時期に 大方の列車が「アルプス」に統一されることになりました。ただ、松本までに分割される列車についてはそのままの列車名が残されることになりました。 小海線を行く「八ヶ岳」はそのひとつです。 1968年になり、ようやく冷房化が始まります。これは3輌に冷房用の電気が給電できる (自車を含む) キハ28-1500が配置されたことにより、とりあえず このキハ28とキロ58×2輌の冷房化が行われることになりました。翌1969年に同様に3輌に給電ができ、なおかつ高出力のエンジンを持つキハ65-500が 配置され、これによりキハ58にも冷房化が可能となりました。 しかし1975年3月10日の改正によりすべての「アルプス」が電車化され、支線区の急行が廃止、移管され、気動車急行の「アルプス」は消滅しました。 |
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A編成の変遷 実車を研究する上でも、模型を再現する上でも、列車の編成は重要になります。ここでは当方保有の資料でわかったアルプス、および アルプス編成を使用した列車の編成を掲載しています。なお、時刻表による調査の場合は使用形式は不明ですのでご了承ください。なお、 古い時代のものでは上下の列車が一緒に図示していますので、上り、または下りのみの列車も記載している、もしくは脱落している 可能性がありますのでご注意ください。
列車編成 |
アルプス4号 |
八ヶ岳・かわぐち4号(下り) @〜Dは松本まで、HIは普通「八ヶ岳」(〜中込)、 |
JKは急行「かわぐち4号」(〜河口湖) @キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)+Eキハ-Fキハ-Gキハ+Hキハ-Iキハ+Jキハ-Kキハ [→松本] |
アルプス2号 |
こまがね1号・かわぐち1号 (上り) HIは急行「こまがね1号」(天竜峡〜)、 |
JKは急行「かわぐち1号」(河口湖〜) [新宿←] @キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ-Gキハ-Hキハ-Iキハ-Jキハ-Kキハ |
アルプス7号 |
こまがね3号(下り) EFは急行「こまがね3号」(〜天竜峡) |
増@キハ-増Aキハ-増Bキハ-増Cキハ-増Dキハ+@キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ [→松本] |
アルプス5号・八ヶ岳(上り) |
増@Aは急行「八ヶ岳」(小諸〜)、@〜Fは松本から |
[新宿←] 増@キハ-増Aキハ-増Bキハ-増Cキハ-増Dキハ+@キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ |
1973年10月(時刻表より)列車の「号」と時刻が多少変わった程度でほとんど変化はない。
列車編成 |
アルプス3号・八ヶ岳 |
かわぐち4号(下り) @〜Dは松本まで、HIは普通「八ヶ岳」(〜中込)、 |
JKは急行「かわぐち4号」(〜河口湖) @キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ-Gキハ-Hキハ-Iキハ-Jキハ-Kキハ [→松本] |
アルプス2号・こまがね1号 |
かわぐち1号(上り) HIは急行「こまがね1号」(天竜峡〜)、 |
JKは急行「かわぐち1号」(河口湖〜) [新宿←] @キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ-Gキハ-Hキハ-Iキハ-Jキハ-Kキハ |
アルプス5号 |
こまがね3号(下り) EFは急行「こまがね3号」(〜天竜峡) |
増@キハ-増Aキハ-増Bキハ-増Cキハ-増Dキハ+@キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ [→松本] |
アルプス3号・八ヶ岳(上り) |
増@Aは急行「八ヶ岳」(小諸〜)、@〜Fは松本から |
[新宿←] 増@キハ-増Aキハ-増Bキハ-増Cキハ-増Dキハ+@キハ-Aキハ-Bキロ(指)-Cキロ(指)-Dキハ(指)-Eキハ-Fキハ |
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B松本配置の急行用気動車一覧 急行「アルプス」とそれに併結される急行・準急はそのほとんどが松本配置の車輛で、一部増結用の車輛は甲府配置のものでした。 そこで、キハ55系時代から完全電車化までの松本の急行用気動車の配置と甲府の配置車輛を一覧にしました。車輛配置の変化についても少しコメントを 付け加えていますので参考にしてください。
甲府での増結用にキハ55が配置され、松本でもキハ55が増備される。
松本配置の車輛がキハ58系に置き換わる。
キロ、キハともに増備される。
勾配用の1等車キロ58が製造され、長大編成対応の400番台が製造、配置される。 甲府の車輛もキハ58に。
中央東線電化による運用減により車輛数が減る。甲府配置車輛も消滅。
キロの冷房化のため、3輌給電対応のキハ28が配置される。
キロ58が全車冷房化される。なお、冷房車はキロとキハ28のみと推定される。
強馬力、3輌給電のキハ65が配置され、普通車(キハ58)も冷房化が可能になる。 キハ28-155については1970.2.25に4VK化されたとさせるが、配置表上では+2000となっていない。
キハ58-401が転出し、710が代わりに転入。 この年もキハ28-155については配置表上では+2000となっていない。
キハ28-1500番台が2500番台化される。ただし、この改番は4VK取り付けに よるものではなく、番号区分整理によるもの。
キロ58-6が転出したほかは変化なし。
1975年3月10日の改正によりすべて電車化され、中央東線の急行の運用がなくなる。
キハ65も転出し、3輌×3編成が残る (急行白馬(金沢〜松本)または波動用?)。
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