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準急型気動車とはキハ55、26、キロ25、キロハ25の事を指し、これらはキハ55系とも呼ばれます。キハ17系の発展系として生まれ、準急「日光」に使用されたことから「準急型」と呼ばれることとなりました。
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キハ17系の発展型ということで初期車、特にキハ55の1〜5まではキハ17の車体幅が広がったような感じの車両でした。キハ55、26ともに0番代は前照灯と全面窓の拡大、前照灯脇にタイフォンを2つとりつけるなど徐々に準急スタイルを確立してゆきましたが、側面窓はHゴム支持のバス窓のままでした。このバス窓はキロハ25の普通車も同様です。一方キロ25とキロハ25の1(2)等車側は少し幅の狭い1段上昇窓でした。
塗装もそれまでの濃紺と薄褐色の塗装から、クリーム一色に細い赤帯を巻いた準急色で登場し、キハ55系だけでなく一部のキロハ18やキハ20などにもこの塗装が施され、準急として活躍していました。このキハ55系の準急網はのちにキハ58系の急行網の基礎にもなってゆくのでした。
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各地に気動車準急を作ったキハ55系ですが、奇しくもその活躍はのちに気動車急行網を全国的に展開するキハ58系の登場により日陰の存在となります。キハ58系の増備が終了する昭和43年ごろには早くもキロハ25とキロ25がそれぞれキハ25-300・400代に格下げされ、昭和40年代後半にはこれらのほかキハ26・55の弱番代がキユニ26やキニ26など郵便荷物車に改造されてゆきます。また、キハ26-400番代は格下げ車とは言え車内はキロのままでしたので、昭和51年ごろから車内を全部または大部分をロングシート化され600番代に再改造されました。キハ58の陰に埋もれ、時々急行の編成に紛れ込みながら細々と活躍してきたキハ55系準急型気動車ですが、郵便荷物車を含め全車が国鉄と運命をともにし、JRに1台も引き継がれることなく、(知る限り)保存もされないまま廃車されてゆきました。
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