キハ40はキハ40系で唯一の両運転台として登場し、キハ48を両運転台車にした車輌となっています。酷寒地用、寒地用、暖地用に細かくバージョンが作られ、キハ40系では最も全国的に分布している車輌です。
酷寒地用の100番台は最初に登場した形式で、北海道用ということで耐寒装備を最も強化した車輌となっており、外見も500番台、2000番台とは少し異なっています。まず、窓が1段上昇窓で内側にもうひとつ窓がつく二重窓になっていて、サイズも他の2つよりも小さくなっています。そのため外見はキハ24に酷似しています。もちろんデッキも取り付けられています。台車も冬季に不具合が生じないために空気バネ台車となり、床下機器にも保温装置や防寒カバーが取り付けられるといった北海道ならではのものとなっています。117からは車内のレイアウトが変更され、窓の配置も変更されています。国鉄末期にはエンジンを直墳式にしたDMF15HSA-D1に取り替えて始動性を良くしています(予燃焼室式のDMF15HSAは冬季の寒冷地ではエンジンの始動性が悪く、寒冷地でもかかりやすい直墳式のエンジンにした)。
500番台は寒地用で、主に東北に配置されました。窓は2000番台と同じユニット窓ですが、車内、台車は100番台と同様として耐寒性を高めています。こちらも100番台同様、途中から車内のレイアウトの変更が行われ窓は位置が変わっています。該当車輌は521以降の車輌で、台車も改良されたものが使用されています。
2000番台は最後製造された車輌のグループで、本州、四国、九州の広い範囲に配置されました。台車は従来型と同じDT22で、デッキもつれられていません。これは暖地向け両運転台車輌をキハ47をベースに計画していたところキハ48をベースにするように変更になり、結果的に車体はキハ40の耐寒装備をなくした車輌となり下回りがキハ47のものとなったためです。この幻の気動車は20数年たってようやくキハ41として登場することとなりました。
JR移管時には廃車となっていた2000番台が1輌あった以外全てが承継され、現在も活躍しているのはよくご存知であると思います。しかしさまざまな改造により新たな番号区分が誕生しており、100番台は全て700番台となって消滅しました。500番台では改番がなくてもデッキが撤去されたりロングシート化された車輌があります。冷房は国鉄時代にはほとんど取り付けられず、JR後に2000番台を中心に改造が行われてほぼ完了し、500番台でも冷房化が始まっています。両端に扉がある両運転台車両ということでワンマン化も積極的にされており、現在非ワンマン車の方が少数となっています。近年になって廃車も始まり、会津鉄道に譲渡・改造された車両もあります。
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