福知山線事故 

 皆さんご承知のとおり2005年4月25日9時17分、福知山線尼崎〜塚口の旧尼崎港支線との分岐点跡近くの曲線で宝塚発同志社前ゆき快速5418Mが脱線し、隣接するマンションの駐車場(マンションの1階部分・半地下式)に突っ込み先頭のクハ207-17以下2輌が大破、3輌目と4輌目が大きく脱線し死者107人(運転士を含む)負傷者460人を出す鉄道史上稀に見る大惨事となりました。約2ヶ月前に発生した宿毛駅の事故と同様にATSが速度超過に対応できなかったこの事故は、宿毛事故とともに鉄道全体に対し大きな不安を与えることになってしまいました。今回のコラムではこの事故に関する考えを書いていきますが、その前に亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々およびご遺族の皆様に御見舞申し上げます。


事故の概要
 事故は週明けの月曜日、ラッシュも一段落し車内でやや身動きが取れる時間に発生しました。当初は踏切での事故と報道されるなど情報が錯綜し、粉砕痕からJR側が「置き石」が原因であることをにおわせるということもありましたが、速度制限70km/hの曲線(半径308・カント92)を108km/hで走行したことにより車体が傾斜転覆し脱線したと見られます。これは報道等に発表をまとめ、総合的に見たものであって事故調査委員会の発表による正式な原因ではないのですが、この速度超過が事故の原因であると断定されことでしょう。また、事故の詳しい経過や脱線のメカニズム等につきましては報道等で紹介されており、事故調査委員会の正式な発表もまだであることから、ここでは説明を省略いたします。


私鉄との競合
 鉄道好きの方であれば関西が「私鉄王国」であることをお聞きになったこともあるでしょう。鉄道の電車化は関西では私鉄が先行し、国鉄が電車を走らせるようになったのは昭和に入ってからでした。しかも東京よりも国鉄線と私鉄線が接近しており、特に京阪神間は2社の私鉄が約2km以内の距離で競合する激戦区なのです。このため戦前から国鉄と私鉄の競争が始まっていたのでした。
 競争は客室設備の差から始まりました。戦前において国鉄が最大のライバルとしていたのが新京阪(現阪急京都線)でした。国鉄の看板列車「つばめ」が新京阪の列車に追い抜かされていたことも背景にあり、昭和10年から走り出した「急電」は新京阪と同じクロスシート車を使用していました。客室設備に差が出なくなると速さで勝負に出ました。「新快速」の登場です。特別料金不要で急行並みの時間で移動することのできる列車の登場により、再び競争が激化しました。しかし国鉄にはどうしても勝てないものがありました。料金の問題です。関西人は「エスカレーターは楽に移動するものではなく早く移動するためのもの」と考えると言っても過言ではないぐらい早いほうを好む性質がありますが、それ以上に安いものを好む傾向が強いのは説明をしなくてもご存知であると思います。そのためどんなに客室設備をよくしてスピードアップに努めても、競合する私鉄より高い運賃に阻まれ「完勝」することはできなかったのでした。
 しかし、JR後に異変が生じました。私鉄の運賃が消費税導入などもあり徐々に値上げされた一方、JR西日本の運賃はほとんど上がらず、国鉄時代に導入された「特定区間運賃」もあって一部の区間では私鉄に勝つ区間も出てきました  (特定区間運賃と私鉄運賃の比較 )。さらに新快速に使用する車両を新型に変え、それによりスピードアップを行うと徐々に乗客がJRの方に流れていったのでした。住宅開発が競合する私鉄の走らない地域まで広がるようになると、この流れはますます強くなってゆきました。特に福知山線や片町線、湖西線はJR後劇的に列車本数が変わりました。一方競合する私鉄はバブル期の不動産投資の失敗もあり、これらに対抗する十分な手を打てず、どんどん乗客を取られ続けていたのでした。しかも鉄道全体の利用者数自体はやや減少気味にあり、JRが輸送増を果たす一方で私鉄各社は毎年乗客数を減らしていきました。その間もJRは東西線の開通や新車の増備、スピードアップで追い討ちをかけ続けていたのでした。こうした状況のもと、今回の事故は発生したのです。

JR西日本の体質
 今回の事故では事故そのものよりも事故を発生させたJR西日本の体質に非難が集中しました。その発端は前述の「置き石」発表です。事故発生の当日、曲線外側(進行方向左側)のレールに車輪が石を砕いた跡である「粉砕痕」が発見され、JR側は「置き石の可能性が高い」と発表しました。しかし近隣住民の目撃などからその可能性はほとんどなく、脱線したあと跳ね上げられたバラストを踏み潰しただけと結論付けられました。たしかに福知山線沿線などではそれまでに置き石の被害があったようですが、事故の責任転嫁のような発表は関係当局や被害者の皆さんのみならず、大きな非難を招くことになったのです。さらに前の停車駅である伊丹駅のオーバーランを発端に運転士に対する過剰なまでのプレッシャー、実現不可能な過密ダイヤ、さらに安全対策を後手にまわしたスピードアップなど次々と問題点が浮上してきました。

 この中で大きく取り上げられたのが運転士のプレッシャーとなった「日勤教育」です。オーバーランや列車の遅れなどを出した運転士は運転業務からはずされ、再教育を受けさせられます。しかしこの再教育は確認動作の指導などよりも懲罰的な意味合いが強かったのです。それはまさに「見せしめ」であり、2度と受けたくないものでした。しかしこのような懲罰的教育は「2度としない」という思いがあまりにも強く働きすぎ、ミスを取り戻すべく無茶な行動に出ることがあります。この事故の運転士もかつてオーバーランで日勤教育を受け、さらに事故当日はオーバーランを繰り返していたことで列車が遅れ、この遅れを取り戻すべく制限速度を上回る速度を出してしまったのでした。このような教育は国鉄時代に始まったとされています。私鉄各社でも表面上はこのような懲罰的教育はしていないと発表していますが、現実には行われていると言われています。また、国もこのような懲罰的指導は好ましくないとしながらも、4年前に発生した日勤教育を受け自殺した運転士の事件でその実態を知りながら放置していた経緯があります。本来そのような再教育では運転動作や非常時の対応、場合によっては回復運転の方法やすることのできる場所の指導などをするべきであり、業務に直接結びつかない懲罰的な方法は避けるべきです。そもそも性格的に運転士に不適格な部分があれば、運転士に合格させてはならないのです。事故を起こした運転士は車掌時代にも勤務中ボーッとしていたなど問題行動を指導された経緯があり、運転に支障をきたすおそれもなくはなかったのです。「教育」とあるからには業務に役立つものでなくてはならず、単に恐怖心を植え付けるものであってはならないのです。
 仮にこのように性格に問題があっても運転士になることが出来るとすれば、その背景は将来の人手不足にあります。ご存知のように国鉄末期は多額の赤字により経費削減を行いましたが、職員は簡単に削減できず新規採用を減らすことで乗り切っていました。これはJR後もしばらく続き、運転士などの鉄道職の本格的な採用が始まったのは1993年からでした。そのためJR西日本全社員の年齢別階層は若年層と高年層に分かれ、もっとも熟練している世代の30代は総数で1450人と他の階層に比べダントツに低くなっています(10代-980人・20代-5220人・40代-15270人・50代-9930人 2004年4月現在)。さらに数年先には「団塊の世代」の50代が大量に退職することから、この補充のため試験などが甘くなっている可能性もあります。その一方駅員の配置は少なくなり、都心部の駅でも契約社員や委託となってゆき、非常時の対処などに問題が出る可能性もあります。こうしたことから全社員数は現在JR発足時の64%にまで少なくなっています。機械化やリストラによって経費の削減には成功しましたが、機械を使うのは人間ですし、非常時などで柔軟に対応できるのもちゃんと教育を受けた人間であることを忘れてはならないでしょう。
 運転士に大きなプレッシャーを与えることになった「日勤教育」ですが、ミスをしなければこのようなイヤな思いはしなくてすみます。ふつう運転士は同じ路線を何度も運転してこの路線や車両のクセを覚え、たとえ運転歴がわずかでも大きなミスはしなくて済むはずなのです。しかしこれはある程度余裕がある状態に言える事であり、当日、厳密には去年の秋からはこの余裕はなくなっていました。去年秋のダイヤ改正から各路線のスピードアップが図られ、運転区間の最高速度が引き上げられたほか停車時間も短縮されました。けれどもこのダイヤ改正は無理な時間短縮の部分もあり、列車の遅れが日常化することになりました。しばしば発生していた人身事故もあり、JR西日本ではコンピュータにより遅れを駅に通知し、ダイヤの修正をする「INFORM」というシステムを開発しました。その結果ある程度のダイヤの修正は迅速にすることはできるようになりましたが、もともとのダイヤが現実的でないため根本的な問題解決にはならなかったのです。また事故当日を含め、ある一定の期間を定時運行期間と定め1秒単位で遅れを報告させる週間となっていました。もともと達成するのが難しいダイヤで1秒の遅れも許されないという重圧の中で、必死に遅れを取り戻そうとする乗務員のプレッシャーははかりしれません。悪いのはダイヤであるのにそれを運転士らの責任にするのは筋違いのほかありません。これは私鉄との対抗によって生まれたスピードアップの産物であり、過密ダイヤが事故の遠因であると報道されたことからようやく見直されることになり、駅での停車時間の増加を含め、所要時間が増えるマイナス改正となる見込みです。しかし列車速度に関しては改正がされない見込みで、やや不十分な感が残る改正となりそうです。なお、事故発生当時には9時18分に下り特急北近畿3号が尼崎駅を発車し、9時20分には続いて宝塚行きの快速が発車していました。上りも事故列車の4〜5分あとに篠山口発の快速列車が接近している状態でした。この特急は事故発生当時は駅をすでに発車しており、注意現示を受けて45km/hに減速して運転をしていたところ、脱線による砂煙を発見して非常ブレーキをかけ事故現場の100mほど手前で止まることが出来ましたが、事故発生時間が数秒ずれていれば二重衝突となりさらに多くの被害を出すことになったでしょう。
 今回の事故でもATSがキーワードのひとつとして出てきました。当資料室でも コラムNo.19の宿毛事故でATS-Sの限界を書き、ATS-Pの導入についても触れました。 JR西日本では速度照査パターンが付加されたこのATS-Pを大阪近郊の「アーバンネットワーク」に設置し、福知山線についてもこの工事を6月末に完了させる予定でした。しかし本来ならばこうした安全対策を行った上でスピードアップなどのダイヤ改正をするべきであり、本末転倒の結果このような自体が発生したと言えるでしょう。JRの設備投資のうち安全対策費は517億円と前年度より92億円減額されていました。安全対策費の額自体は年によってばらつきがあり、ただちに安全対策費の削減とは言えないのですが、この安全対策費には高架橋の耐震工事やトンネルのコンクリート崩落防止など数年前から継続して行われているものもありATS-Pへどのくらい投資されていたかは不明です。その一方で2005年度の業績予想は売上8458億円、経常利益740億円を見込み、純利益は前年度比109億円増の480億円としていました。純利益拡大のため安全対策を削減したようにも見られ、株主の顔色をうかがう利益追求、安全軽視の姿勢すら連想させます。そもそもこのATS-Pは大阪環状線と桜島線、東西線の全線、東海道・山陽本線の米原〜網干、阪和線の天王寺〜関西空港、片町線の京橋〜京田辺、関西本線のJR難波〜王寺と梅田貨物線の一部に設置されているのみで、アーバンネットワークの路線すべてに設置されているわけではありません。今後他の路線でもスピードアップが予想されますが、安全対策を行った上でのスピードアップであることを忘れてはなりません。またこの安全対策費に含まれるのかはわかりませんが、ローカル線の保守費用がかなり抑えられているように思います。JR西日本管内のローカル線ではある特定の曜日の昼間、列車が運休することがあります。これは保守作業を行うためで、その間振り替え輸送は行われません。昼間保守作業をするのは夜間手当てを削減するためで、経費削減の一環です。また、このスケジュールで工事が行われている路線では15km/h(雨天は10km/h)という厳しい速度制限が行われている区間が存在します。該当する区間はカーブであったり川の縁を走行する区間で、レールの磨耗への注意や路盤の保守が特に必要な箇所となっています。つまりこうした保守や大規模な工事をしなくて済むように速度を極端に落とし、費用がかからないようにしているのです。ところがこの保守費の抑制は日頃の点検にも響いており、沿線の樹木の剪定や線路の巡回なども間引きされているため大雨のあとなど倒木や落石の危険性が高くなり、事実去年から今年にかけて私が知る限り2件の事故が発生しており、うち1本は営業列車でした。これらのローカル線は「鉄道部」という地域組織に分けられ、ある程度独自で運用が出来る反面、資金的な部分も独自でやりくりしなければならない部分が大きく、保守費用の削減を行わなければならないのが現状です。大都市では過密ダイヤとスピードアップに対応できる安全対策、ローカル線ではまともに運転することのできる十分な保守などの安全対策が望まれるのです。もちろん、長年の懸案となっているコンクリート構造物の補強も忘れてはなりません。大規模な駅ビル開発よりも、一度やっておけばしばらくは安全を保つことが出来るものに投資したほうが賢明なのではないでしょうか。  最初にあげた「置き石」発言や事故発生当初の踏切事故情報のように、自分たちに都合のよいほうに情報をとらえることは正確な問題解決とならないほか、社会の激しい非難を浴びることになります。今回の場合も同様のことがあり、JR西日本に対して大きな不信感を抱かせる結果となりました。また、事故の直接の被害者へのお詫びはしたものの、列車が突っ込んだマンションの住民に対する対応が遅れたこともあってしこりを残すかたちとなりました。特に最近の日本の風潮としてミスを隠し謝罪が遅れるパターンが多く、今回の事故でも残念ながらこの風潮に添ってしまいました。けれど謝罪の遅れは今回はまだ早く収まったほうで、信楽事故のような責任のなすりつけや裁判後の謝罪といった最悪の事態をさけられました。いずれにせよ、早めに誠意ある謝罪と対応をし、自社の反論は最小限にし、自らの進退を固執せず、華美な行動を慎めば社会一般からの非難は最小限に済み、二次・三次的な損失もされることが出来るのです。


「マル」にする
 この事件の発生から数日後、驚くべきことが発覚しました。事故の列車は伊丹駅でオーバーランし、その停止位置を直すため1分30秒の遅れが出たと発表され、そのオーバーランは7mとされました。しかし実際は40mで、一部からはそれ以上だという声もあがっています。これは運転士が日勤教育を怖れるあまりに車掌に対して過小報告するように依頼したためでした。私自身娘のニュースを聞き、まだこのようなことをやっているのかと驚きました。このように乗務員や駅員間で発生した軽微な事故をなかったことにしたり過小報告したりすることを昔から鉄道の隠語で「マルにする」と言っていました。このことは特に国鉄末期の1980年代に大きな問題となっていました。当時は飲酒などにより事故や列車の遅れ、いざこざなどが大小にかかわらず発生し、中には重大事故も発生しました。このようなことは国鉄ともにすっかりなくなったと思っていたのです。しかし現実にはこの悪習は脈々と受け継がれていたのでした。国鉄時代に見られた態度の悪さがなくなったためそのように見えただけなのでしょうか。特にJR西日本では接客態度の向上を厳しく指導しており、その傾向は近年特に顕著となって慇懃無礼な感じすらさせます(車内巡回の際には貫通扉を開け、扉を閉めてから一礼して、反対側の扉を開ける前に客室に向かって一礼して扉を開けて次の車両に移る。車内検札の際は脱帽し検札をする旨を述べることを加える、といった具合)。けれど乗客の目に見えない部分は国鉄時代のまま変わっていなかったのではないでしょうか。もちろん国鉄時代を含め、全ての職員・社員がそのような悪習をしているとは思いません。ですがそのような慣行がまだ行われ、まかり通っている点はいいかげん正さなければなりません。いくら厳しいプレッシャーの下であっても、いくらミスが勤務評定に響くからといっても、そのミスの本質が別のところにあるかもしれず、この問題の根本的解決の妨げとなっているの場合もあるのです。もちろん、この報告を受けた側の処理の仕方にも適切さが求められるのですが。
 この「マルにする」は会社側の背景からある程度社会的に受任される気配がありました。しかしその後次々と発覚した宴会などはこうした同情に似た容認を一気に吹き飛ばし、強い反感となりました。これは報道の加減もあって遠く金沢支社のものまで槍玉に上がる始末でした。さすがにそれほどまで遠くのものに対して非難をするのはどうかと思いますが、事故を知れば短時間で現場に赴くことが出来る地域であれば救助活動をしないまでも軽率な行動は慎むべきであります。結局これも国鉄時代のお役人的なタテ割りの名残によるものです。たとえ近くでも区所が違えば他山の石。そのような考えは民営化となった現在に通用するのでしょうか。よそで起こったことが自分のところで発生しないとも限らないのです。もしこの宴会中に自分の区所で事故が発生した場合、ちゃんと対処できたのでしょうか。宴会をするなとは言いませんが、非常時には非常時にふさわしい行動に切り替えることが出来るようにしてもらいたいのです。
 事故列車に乗り合わせていた運転士2人が、救助活動をせず職場に向かったことも大きな非難を受けました。この場合運転士らもそうなのですがこの上司にも問題があったのです。事故直後運転士らは電話で上司と連絡し、事故が発生した旨を報告していました。上司の側は怪我の程度を聞いただけで、怪我がないことを知るとそのまま出社するよう話したとされています。微妙なところで双方の主張が異なっていますが、結果として運転士らが現場を離れ、実際列車の運転乗務についていたのでした。上司は事故の程度を正確に把握してなかったとはいえ、精神状態が不安定となっていないとも限らない運転士をそのまま運転乗務をさせるところに問題があり、運転士のほうはたとえ上司の指示とはいえ、目の前で凄惨な事故が発生しているところから何もせずに立ち去るところに問題があったと言えます。非常事態に対して非乗務の関係者はどのような行動を取るべきかを定めておく必要があるのではないでしょうか。周辺の工場の方々はその手を止めて救助活動に従事していたのですから、当事者の一部である者が職夢中でないことを理由に何もしないというのは許されるものではありません。


今後の課題と反省
 主に企業側と現場側の問題点を指摘してきましたが、結局のところそれぞれが「安全」を最優先に考えていればいいだけなのです。たしかにローカル線を多く抱え、これらの路線を維持するためには大都市でたくさん稼がなくてはなりません。けれども利益追求が安全より優先させてはならないのです。たとえ安くて早くて美味い牛丼屋でも、よく食中毒を出すような店であれば繁盛しません。「食中毒にならない」、つまり「安全」ということが大前提で早い・安い・美味いが問題となるのです。鉄道であっても「早くて安いが事故をよく起こす」となれば乗客は徐々に減ってゆきます。本来鉄道とは「安全でなければ止める」というのが原則でした。それがいつの間にか「とにかく走れ」に変わってゆき、こうした大きな犠牲を生むことになってしまったのです。安全対策というのは「保険」みたいなものです。一般の乗客はそのような安全対策には気付かないため、アピールは新型車両を作ったり駅舎を改築したりするよりもはるかに弱いのですが、「事故を起こさない」という信頼は何物にもかえ難いでしょう。今回の事故でJR西日本は多くの人命を失わせ、傷つかせ、信頼を失い、巨額の賠償をしなくてはならなくなりました。一方で嫌がらせなどの二次的な被害も発生し、現場の社員たちのプレッシャーも事故前よりも強くなりました。
 こうした事故が発生したとき、一番つらい立場にたつのは現場の人間です。たとえ経営のトップが様々な場所で頭を下げても、それは自己の判断ミスから来るものであり、当然の結果です。しかし現場の人間は会社の方針に従い行動しているだけであるにもかかわらず、通常の業務であっても厳しい目を向けられ続けるのです。本人に何の過失もないのに。ただその組織に属しているというだけで。しかも現場の人間は、トップの決めた指示はどんな無茶なものでもやり遂げなければならないと言われ、教育されているのです。トップが適切な指示をしていれば全く問題はないのですが、現場を知らない机上の空論で考え出された指示は現場には大きな負担となるのです。これではまるで戦争末期の特攻隊のようなものです。ダメ司令官による精神論丸出しの無謀な作戦を押し付けられた若い兵隊の姿が、JR西日本の乗務員たちに重なるのは過言でしょうか。経営側は理想ではなく現実を見て、現場の現状も理解した上で経営をしなくてはならず、適切な指導をしていかなければなりません。たとえマイナス方向ととらえられても、失った信頼を回復するには「毎日同じ」という「安全」を達成できるダイヤや設備でなくてはならないのです。現場の人間がたとえミスをしたとしても、恐怖ではなく再発を防止する方法を与えなくてはなりません。
 現場側も今回の事故を機に「完全民営会社」ということを自覚する必要があります。まず国鉄時代の悪習と完全に手を切ることです。「隠す」、「無茶をする」というような「業界の常識」が「一般社会の常識」であることはほとんどありません。乗客に対する態度のように、誠実に包み隠さず行動することが結局は自分たちのためになるのです。たとえそのことにより不利益が生じてもいずれは自分のためになるのです。これは非常時の行動でも同じです。普通の人が事故の救助にあたるのは「特別」なことですが、事故発生に関係のある立場のものであれば「当然」へと変化します。この行動を行わなかった場合はプラスはゼロに、ゼロはマイナスに変化します。関係者であれば当然しかるべき対応や態度でなくてはならず、関係外であっても行動に出られるよう心がけるべきであるのです。関係外の行動は「特別なこと」であり、誉められることはあっても非難されることはなく、しいては企業のイメージアップにもつながり多方面でプラスに働くことになるのです。「自分には関係ない」ではなく「あすはわが身」という緊張感を持つことが現場の人間には求められるのです。もちろんこの緊張感は悪い方向に向いてはなりません。
 我々鉄道利用者も反省すべき点があります。普通の待ち合わせなどでは数分の遅れは気にならないはずですが、鉄道に関してはとくにイライラしがちです。世界の水準で比べれば日本の遅れは大したものではなく、むしろこれほどまで時間に正確なのが異常なぐらいです。1、2分時間が早まったところで我々の生活にどれだけの利益があるのでしょうか。過度な速さの追求はやめて、余裕をもった生活をしてみませんか。たとえ乗り過ごしても「次にしよう」という余裕をもっていればイライラもせず、仕事などにも影響はしないはずです。鉄道好きの人間は鉄道現場に支障をきたす行動は慎みましょう。もちろん多くの人はそのような行動はとっていないと思いますが、知らず知らずのうちに現場の方々に不安を与える行動をとっているかもしれません。特に写真撮影などでは周囲をちゃんと確認した上で、適法な場所から撮影するようにしましょう。こういうときこそ鉄道好きは鉄道に対し厳しい目で支えなくてはなりません。「これが鉄道の慣習だから」では鉄道をダメにする一方です。鉄道が好きであれば、よりよい鉄道であって欲しいという気持ちはあるはずです。よりよい鉄道を目指すにはこれまでの体制を容認する目であってはならないのです。このように厳しい視点で私が書いてきたのも、こうした思いからであるのをご理解いただきたく思うところで結びとさせていただきます。


きはゆに資料室長