キハ17系によって多くの人々が知ることとなった気動車列車でしたが、軽量化を図った車両であったため客車列車が普通だった当時の乗客にとって客室設備に不満は多くありました。この原因多くが車幅2600mmという車体の小ささによるもので、大型の車両を開発することとなりました。このようにして登場したのが車体幅を200mm、高さを180mm広げたキハ20系です。
キハ20系には両運転台のキハ20、21、22と片運転台の25、2エンジンの52があり、郵便荷物車としてキハユニ25、26がありました。外観は乗降をスムーズにするため、キハ22以外は扉を両端から中央に少し寄せ、窓は2段上昇式となりました。この窓ですがキハ22と52以外の初期車(0番台)はキハ17系と同じ「バス窓」で登場しました。
形式番号の表記と塗装が変更になったのもこの時期であった。表記の変更はそれまでは旧型国電のように形式番号と車番を「キハ48011」というように連続した数字で示していましたものを現在のように「キハ11 12」というように形式番号と車番の間にスペースを入れるように変更されたのです。さらに駆動方式や車体幅の違いにより形式を分け、形式01〜09は機械式や電気式気動車を、形式10〜は液体式とし、10〜19を狭幅車(キハ17系)、20〜を広幅車として、50番台は2エンジン車に区分することを原則としました。塗装はそれまで青色3号/黄褐色2号という少し暗めの塗装であったが、これをいわゆる気動車一般色といわれている朱4号/クリーム2号の塗り分けに変更されたのである。キハ17系では旧塗装の車両の写真も多く残されていますが、キハ20系ではほとんどありません。番号に関しては設計時には旧番が設定されていましたが、完成が改番後であったため旧番をつけたものは登場しませんでした。
普通のキハ20、急行のキハ58というように全国的に見ることのできたキハ20系も老朽化には勝てず、国鉄末期から急速に廃車が進み、キハ21、キハ25、キハユニ25と26はJRに承継されることなく消えてゆき、現在JRではキハ52が残るのみとなっていて、キハ20も私鉄で余生を送っているだけとなっています。
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