信越本線には気動車が通れないある特殊な事情がありました。有名な碓氷峠を越える横川-軽井沢の区間です。これは当時の輸送方法によるもので、66.7‰という勾配を越えるのは当時通常の機関車では不可能であり、線路の中心にラックレールという歯車を噛み合わせる特殊な線路を敷き、このレールに噛み合わせる歯車を持った機関車が使われていました。気動車も客車と同じくこの特殊機関車に牽引されるのですが、気動車の台車には客車とは異なってさまざまな装置があり、その中でブレーキ装置がこのラックレールに触るためそれまでこの区間を通ることができなかったのです。
これを解決するために登場したのがキロ27とキハ57の信越用車輌です。まず台車の中で支障となっていたブレーキ装置を改良し、キハ60で試作していたディスクブレーキを使って解決し、台車のばねも空気バネを使用しました。キロ27の外観は台車部分を除いたほかはキロ28と同様になっています。なお、この区間を走行する場合、気動車は力行運転をせずエンジンはアイドル状態で、車内電気の充電とコンプレッサの駆動のみ行っていました。
キロ27はキハ57とともに1961年に登場し、運転を開始しましたが、2年後のアプト運転廃止により運命が変わります。アプト運転の廃止は通常車輌の通過が可能となり、わざわざこのような特殊装備をしなくてもよくなったためキロ27はわずか7輌で生産を打ち切られしまいました。その後他のキロと同じように使われていましたが、グリーン車の余剰と保守の手間からキハ57より早く全車廃車となりました。
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