キハ58は北海道以外の急行用車両として製造された車両で、気動車では最も多く生産されました。1968年にはモデルチェンジが行われ、前面窓がパノラミックウインドウになり、当初から冷房を念頭においた屋根上配置となりました。また、暖地向けと寒地向けに製造が分けられ、番号も暖地向けは1100番台、寒地向けは1500番台とされました。また、キハ28とともに修学旅行用車両も作られ、東北と九州に配属されましたが、電化や修学旅行の鉄道離れにより徐々に通常運用に回ることが多くなりました。番号は800番台を名乗り、特製テーブルや車内速度計、幅広洗面台など特別な装備を施していました。総生産数が多かったため、一般車の車番がこの修学旅行車800番台にかかり、799の次は1000に飛びました。そのため820〜999は欠番となっています。
登場した当初は冷房は装備されていなかったのですが、1968年ごろより冷房化が始まました。しかし2エンジンのキハ58の床下に発電装置を取り付ける余裕はなく、キハ28など1台エンジンの車両に発電エンジンを取り付け、給電していました。そのためキハ28やキロ28が少ない編成では、冷房車でありながら冷房が使えない場合がありました。
ジョイフルトレインなどにも改造され、JR後他の形式が消滅する中で多くが延命や車体更新、エンジン取替えなどを施して活躍しました。しかし近年老朽や運用コストなどから急速に廃車が進み、2エンジンの強みからキハ28に比べ多く残っているものの総生産数と比べると10分の1にまで減っています。
|