その6 ATSの歴史

 ATS特集最終回の今回は、総括としてATSの歴史と、これまでに取り上げていなかった関連事項をとりあげてゆきます。 年表については荒い部分も多いと思いますが、事故と研究・試験が繰り返されてきた長い歴史でもあり、その経緯の概略だけでも 知っていただくために掲載しました。

年表

 1921年(大正10年)
 東海道本線 品川〜汐留で自動列車停止装置試験 (磁気誘導式)
 1927年(昭和2年)
 東京地下鉄で打子式自動列車停止装置使用開始
 1930年(昭和5年)
 横浜線 菊名〜小机で打子式自動列車停止装置試験
 1934年(昭和9年)
 横浜線 (同上区間)で車内警報装置試験 (使用方式不明)
 1935年(昭和10年)
 東海道本線 大津〜京都で車内警報装置試験 (連続コード式)
 1940年(昭和15年)
 東海道本線 三島〜沼津で連続コード式ATC試験
 1944年(昭和19年)
 東海道本線 東京〜沼津 山陽本線 姫路〜門司で自動列車停止装置設置工事着手 戦時下の資材不足のため完成せず
 1947年4月22日(昭和22年)
 京浜東北線 田端駅で追突事故発生 同年9月にも上野〜鶯谷で追突事故が発生し車内警報装置の開発が再開
 1951年(昭和26年)
 東海道本線 辻堂〜茅ヶ崎 (貨物線) でB型車内警報装置試験
 1953年(昭和28年)
 B型車内警報装置が京浜東北線と山手線で実用化
 1954年12月(昭和29年)
 B型車内警報装置が東京・大阪の国電区間での整備完成
 1956年10月15日(昭和31年)
 参宮線 六軒駅事故発生 主要路線での車内警報装置の設置が決定される
 1957年(昭和32年)
 東海道・山陽本線でのA型車内警報装置の設置工事着手
 1957年(昭和32年)
 両毛線・上越線でC型車内警報装置試験
 1960年3月?(昭和35年)
 東海道・山陽本線東京〜姫路・横須賀線・伊東線でA型車内警報装置使用開始
 1961年(昭和36年)
 営団地下鉄日比谷線 南千住〜仲御徒町で絶対信号によるATC設置
 1962年5月3日(昭和37年)
 三河島三重衝突事故発生 自動列車停止装置 (ATS) の導入決定
 1962年11月29日(昭和37年)
 羽越本線 羽後本荘〜羽後岩谷で下り列車の出発信号冒進による正面衝突事故発生 出発信号機の直下に地上子を設置する ことを決定
 1963年(昭和38年)
 ATS-SおよびATS-B実用化
 1964年10月1日(昭和39年)
 東海道新幹線で電子機器によるATCが実用化
 1966年4月(昭和41年)
 国鉄線全線でATS整備完了
 1966年12月15日(昭和41年)
 東武鉄道伊勢崎線西新井駅で急曲線の過速度による脱線事故発生 同年私鉄で事故が多発したこともあり私鉄のATS整備 (速度照査機能つき) の通達が出される
 1967年8月8日(昭和42年)
 新宿駅構内での貨物列車衝突事故発生 場内信号にも直下地上子を設置 ATS確認後の注意喚起の必要性が出る
 1967年12月(昭和42年)
 東海道本線米原駅でのATS電源未投入車輌による列車衝突事故
 1968年3月(昭和43年)
 場内信号の直下地上子設置完了
 1968年6月(昭和43年)
 東海道本線膳所駅で貨物列車脱線事故発生 ATSでの速度照査の研究が始まる
 1970年7月(昭和45年)
 電源未投入防止装置・警報持続装置の全車取り付け
 1970年11月(昭和45年)
 主要路線に分岐器速度制限警報装置を設置
 1971年4月(昭和46年)
 営団地下鉄千代田線と相互乗り入れ開始 常磐緩行線綾瀬〜我孫子でATC使用開始
 1972年(昭和47年)
 3月28日に総武本線船橋駅で追突事故が発生 6月23日にも京浜東北線日暮里駅で追突事故が発生 列車過密路線にATC 導入されることに
 1972年7月(昭和47年)
 総武本線東京乗り入れに伴い、東京〜両国でATC使用開始
 1973年12月26日(昭和48年)
 関西本線平野駅で速度超過による脱線事故発生 ATS-P(初代)開発が始まる
 1980年(昭和55年)
 関西本線奈良〜湊町でATS-P(初代)の試験開始
 1981年12月6日(昭和56年)
 山手線・京浜東北線(大宮〜蒲田)でATC使用開始
 1984年10月19日(昭和59年)
 山陽本線西明石駅で寝台特急が乗務員仮眠により速度超過で脱線 H-ATS(現ATS-P)が開発される
 1987年(昭和62年)
 東海道本線草津駅などでATS-P(2代目・現在のもの)が実用化
 1988年12月5日(昭和63年)
 中央緩行線東中野駅で追突事故発生 ATS-BからATS-Pへの置き換えが始まる
 1989年4月13日(平成元年)
 飯田線北殿駅で信号冒進による速度超過で正面衝突が発生 絶対停止地上子・速度照査など改良型ATSが開発される ことになる
 2004年2月29日(平成16年)
 総武本線東京地下区間がATCからATS-Pに
 2005年4月25日(平成17年)
 福知山線事故発生 速度照査機能つきATSの設置が通達される

 @打子式ATS  

 日本で始めて実用化されたATS (警報装置を含む) が打子式ATSです。これは国鉄 (当時は鉄道省) ではなく、昭和2年 (1927年) に東京地下鉄道 (現在の東京メトロ) 銀座線が開業したときに導入されたものです。メカニズムは比較的単純で、 地下鉄電車の台車にあるエアコック (ブレーキ管のコック) をひっかけるアームを2つ連続させた停止信号のうち手前の信号を 超えたところに立ち上げ、これにコックをひっかけさせて非常ブレーキをかけるようになっていました。また、細かい部分でも 工夫がされており、正常な運行が確保できるようになっていました。停止信号を2つ連続させたのは停止信号を見落としても 確実に先行列車の手前で停止させるためで、手前の停止信号は事実上の予告信号となってしました。この場合、1つ目信号を 正常に通過すると信号が赤 (停止) となり、アームが立ち上がり後部の台車のエアコックを作動させてしまう可能性があり ましたが、アームの立ち上がるタイミングを調整することで解決しました。これは信号故障などで停止信号を超えて進入する場合 も想定されていました。
 比較的単純な構造ながらも信頼性が高かったため、大阪や名古屋の地下鉄 (一部路線) でも長い期間使用され続け、驚くことに 消滅したのは2004年に名古屋市営地下鉄の東山線においてでした。国鉄では本格的な使用はなかったものの、有楽町駅で 昭和8年 (1933年) に試験的に設置されたことがありました。これは国鉄でのATSの模索を行っていた時期であり、各地で さまざまな方式のATSの試験が行われていました (この有楽町の打子式ATSは地下鉄のものとは微妙に異なる点があります)。


 A車内警報装置 

 ATSなど信号冒進を防ぐ装置の開発は戦前から進められていましたが、現在のATSの原型がこの車内警報装置でした。 車内警報装置には信号情報の伝達方法の違いによりA型・B型・C型がありましたが、最初に実用化されたのはB型でした。 これは装置が比較的既存のものを利用して行うため、開発が容易であったことと思われます。昭和26年(1951年)から東海道本線 辻堂〜茅ヶ崎の貨物線で試験が始まり、昭和29年(1954年)に東京・大阪の国電区間に設置されました。
 昭和31年(1956年)の参宮線六軒事故により本格的に導入されることになり、登場したのがA型とC型です。A型は自動閉塞区間でも 列車の間隔が大きい路線 (密な区間と広い区間が並存する場合も含む) に使用することとなっていました。一方C型は非自動閉塞 区間 (いわゆるタブレットなどを使用する区間) での使用を想定していたものでした。このうちA型については各種試験から 東海道・山陽本線で一部実用化されましたが、C型については上越線や北陸本線での試験中の昭和37年(1962年)に常磐線三河島 事故が発生したことによりATSへの開発へと方針転換したことから実用化はされずに終わりました。
 車内警報装置は警報確認操作に慣れてしまえば効果は薄くなり、前方信号が停止信号であるという警報を発するのみで停止 させる機能がないため、警報を無視しても列車を止められないという欠点がありました。そこで停止機能を追加したATSの 開発へ移行し、すでに設置されていた区間についても逐一ATSへと取替えられ、昭和40年代に消滅しました。

 各タイプの違いは以下のようになっています。
 B型は自動閉塞区間に使用され、自動閉塞で使用される軌道回路が停止現示(赤信号)で途切れることを利用したものです。 自動閉塞区間であれば装置の取り付けだけで済むため、比較的簡単に普及させることができます。基本的構造はATS-B型へと 継承されてゆきます。
 A型はB型と同じく自動閉塞区間で使用されますが、B型では軌道回路の電流変化を検知していたのに対し、A型では軌道回路 とは別に信号電波を軌道上に送信し、これを検知して警報を発していました。この原理はATCや一部私鉄での速度照査ATSに 受け継がれることになります。
 C型は非自動閉塞区間に使用されるため軌道上に電流がないので信号機の手前に地上子を設置し、ここから警報信号を発信して 車輌側が受信する方式を採っていました。ATS-S型へと受け継がれることになったこの方式は「車内警報装置」としては 実用化されずに終わりました。



 B ATS-B

 B型車内警報装置を改良して誕生したのがATS-Bです。操作自体はATS-S型と同じですが、B型車内警報装置と同様に 軌道回路の電圧変化を利用しているためS型のような地上子はありません。また、S型ではATSの確認動作をすると再び 地上子がない限り警報が鳴ることはありませんが、B型では確認操作をした後も再び軌道回路の送電が停止されれば警報が 鳴るようになっています。
 ATS-BはB型車内警報装置と同様、国電区間に設置されました。区間によってはS型と併用している区間もありました。 設置路線・区間は以下のようになっていました。(いずれの路線も貨物支線は対象外)
 B型のみ
山手線 京浜東北線(桜木町〜大宮) 中央緩行線(御茶ノ水〜三鷹) 横浜線(東神奈川〜小机) 鶴見線(鶴見〜扇町・新芝浦〜 海芝浦) 大阪環状線(天王寺〜大阪〜境川信号所) 阪和線羽衣支線
 S型と併用
中央快速線(東京〜高尾) 総武緩行線(御茶ノ水〜千葉) 常磐快速線(上野〜取手) 赤羽線 青梅線 五日市線(拝島〜武蔵五日市)  南武線 横浜線(小机〜八王子) 鶴見線(武蔵白石〜大川・浅野〜新芝浦) 東海道・山陽本線(京都〜西明石 電車線) 片町線 (片町〜長尾) 関西本線(湊町〜奈良・竜華操車場〜杉本町) 阪和線 大阪環状線(天王寺〜境川信号所) 桜島線

 こうして国電区間全線に設置されたATS-Bですが、山手線や京浜東北線などの超過密路線でATCへと移行したほか、 1988年(昭和63年)12月5日に中央緩行線東中野駅で発生した追突事故をきっかけにATS-Pへの移行が進み、現在は消滅して います。ただし、私鉄のATSでは類似した方式をまだ採っているところもあり、JR東日本の車輌ではATS-Bの表示灯が 残るものもありました。


 C ATS-P(初代)

 ATS-Pには2種類あり、一般的にATS-Pと呼ぶものは1984年(昭和59年)10月19日に山陽本線西明石駅で発生した寝台特急の 事故をきっかけに誕生したものですが、登場した当初はH-ATSという名称でした。ではもともとあったATS-Pはというと、 昭和48年(1973年)の関西本線平野駅で発生した脱線事故をきっかけに登場したものでした。初代ATS-Pは私鉄の速度照査ATS と同様に、地上子から発生する周波数の違いにより照査速度を変化させ、これを超過した場合は非常ブレーキを作動させるもの でした。昭和55年(1980年)には関西本線の奈良〜湊町で試験が始まりましたが、H-ATS(現ATS-P)の開発が決まったことも あり、その名を後身のH-ATSへと譲り姿を消しました。


 D ATC

 国鉄においてATCは東海道新幹線のために開発されたことは有名な話ですが、実用化したのは新幹線開業より前に営団地下鉄 においてでした。ただしこのATCは一般的に言うATCとは異なり、車内信号方式ではなく地上信号方式でした。車内信号式 のATCは1965年に名古屋地下鉄2号線が最初で、東京では千代田線が最初となります。この千代田線は常磐線の我孫子まで相互 乗り入れされるため、増線された常磐線綾瀬〜我孫子(緩行線)がATCとなったのを契機に在来線でもATCの導入が始まり、 総武・横須賀線の東京地下区間、山手線・京浜東北線など過密路線に導入されてゆきました。変わったところでは青函トンネル内 もATCとなっています。
 ATCの基本構造はA型車内警報装置と同じく、軌道回路とは別に信号現示に対応する信号波を軌道上に流し、これを受信して 運転台に表示して車輌を制御します。さらに、閉塞区間を細かくすること(1編成・200m程度)で列車間隔を密にすることもできる ため、山手線などの高密度路線でも安全に列車間隔をつめることが可能になりました。
 ATSとは異なり、ATCでは速度超過の場合は非常ブレーキではなく常用最大ブレーキで行い、制限速度以下となればブレーキ は解除されます。また、基本的に運転士は停止直前まではブレーキ操作を行わなくてもいいというのが前提となっています。 運転台の速度計には制限速度に対応したランプがあり、このランプの点灯が信号現示と同じ意味を持ちます。この制限速度は 路線によって異なることが多く、車輌によって異なる場合もあります。ATC区間では信号現示は車内に表示される速度表示と なるため信号機は設置されておらず、ATSからATCとなった山手線や京浜東北線では信号機が撤去されました。一方、 ATCとほぼ同じ機能を持つ私鉄のATSの場合は、速度表示機が設置されていても信号機を省略することはできません。
 一見もっとも安全な装置であるようなATCですが、ATS-Pの登場によってそうとは言えなくなりました。実際、総武・ 横須賀線の東京地下区間ではATCからATS-Pに変更されました。これはATS-Pの方がより列車を密にすることができ、 なおかつATCと同様になめらかな速度照査とブレーキ操作が行えるためです。ATCも改良が始まり、速度制御信号のデジタル 化やブレーキの一段化 (従来のATCではいくつかの段階でブレーキがかかるため乗り心地が悪くなる) により、より高い安全性 とよりよい乗り心地を目指しています。









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