9600 データ 

9600の概要
 2番目の国産過熱蒸気機関車として登場した9600ですが、もともと「9600」という形式は国産初の過熱蒸気機関車につけられていました。しかし貨物用過熱蒸気機関車を新たな構想のものとすため、「旧」9600を9580と改称し、新たなものを「新」9600としました。なお、この「過熱式」については8620 に詳しく述べているので、こちらをご覧下さい。
 9600の特徴は小さな動輪と高い重心です。小さな動輪は速度が出ない反面力が強く、貨物用機関車には適しているものでした。しかし1250mmの動輪は小さく、そのため走る姿はD50など1400mmの動輪を持つ機関車のゆったりと力強い走りに比べるとせせこましく、独特のものとなっていました。大型のボイラーのため中心は2594mmと高く、車輌の重心も高くなってしまいました。これは同年代の8620が2438mm、標準貨物機関車のD51が2500mm、最大のボイラーを搭載したD52ですら2550mmであることからご理解いただけると思います。重心が高くなることは横転の危険性が高くなるように思われますが、設計をされた島安次郎氏によると動輪径が小さくなったことでシリンダなどの機器の重心が低くなり、これと釣り合うため問題はないということだそうです。つまり9600の特徴である小さな動輪と高い重心は互いに欠かせないものであったのです。
 この高い重心が問題なかったことはその生産数にあらわれています。大正2年に製造がはじまってから大正15年まで、まさに大正時代の蒸気機関車として769輌が作られました。大正時代はまさに9600の天下でしたが、D50が出現し、標準機関車D51の登場によって主要幹線から退くこととなりました。そのころ日本は中国大陸で戦線を拡大し、占領地の鉄道に使用する機関車のひとつとして9600が選ばれました。9600の場合は中国大陸で使用するため広軌に改軌され、供出機関車としては最多の249輌が大陸へと渡ってゆきました。その後日本の敗戦により供出された機関車たちは現地の残され、その多くは日本人の知らないうちに廃車されてゆきました。9600も多くが廃車されましたが、1980年代に数輌が廃車待ちの状態であるのを発見されました。
 戦後9600は軸重の軽さからローカル線の貨物輸送に使用されましたが、多くはヤードなどの入換用となりました。けれどこの入換が9600にとっては最も適した仕事となりました。軸重が軽いため弱いヤードの線路に適しており、そのわりに粘着性がよく、運転台からの見通しもよく、動力逆転機のついた車輌はまさにもってこいでした。北海道と九州では本線上でも見ることができましたが、もっぱらヤードや駅で使用されていた9600はDD13やDE10の出現により数を減らしてゆくこととなりますが、入換用であった事が幸いし最後の蒸気機関車となりました。1976年3月2日、追分区の39679と79602、そして予備の49648を最後に蒸気機関車は通常の営業から姿を消しました。なお、このおよそ1ヵ月後の4月13日、追分機関区の機関庫は火災によって全焼し、この3輌の9600と1輌のD51、そしてこれらに代わって働くDD51とDE10が被災するということが起こりました。

性能データ 炭水車を含む
全長
全高
自重
軸配置
16563mm
3813mm
94.85t
1-D
使用蒸気圧
出力
最高速度
軸重
13kg/cu
870馬力
65km/h
13.16t
シリンダ径
動輪径
製造期間
軸距離
508mm
1250mm
大正2年〜15年
4572mm