8620 データ

8620の概要
 初の旅客用過熱機関車の8850は当時としては強力な機関車で、旅客列車の牽引には十分すぎるパワーを持った機関車でした。これは過熱式としたことでボイラーに余裕ができたためで、新たな旅客用機関車は過熱機関車とすることとなりました。8850が旅客列車にあまり適当でなかったのはその出力に対して軸重が軽く、粘着重量を高めるため1-Cという軸配置にした8620が登場することとなりました。
 ここで少し「過熱式」について説明をさせて頂きたいと思います。蒸気機関車は簡単に言えばお湯を沸かしその蒸気をシリンダに通して一定方向の運動に変えて車を回すという方法で動くのですが、単にお湯を沸かしてその蒸気をシリンダに送る方式を「飽和式」と呼びます。これに対して「過熱式」は沸かして発生した蒸気を再び熱することによって完全に「気体」とさせる方式のことで、蒸気圧の上昇、または蒸気容量の増加が飽和式よりも融通が利くようになり、石炭と水の効率も20〜30%上昇し出力も上がります。日本には明治44年に8800と前述の8850が輸入され、9580(旧9600)ではじめて国産化されました。
 9600とともに大正時代を代表する機関車となった8620は大正15年に一旦製造が打ち切られた後昭和5年に2輌が再び生産されました。のちに樺太庁鉄道が国鉄の管理下になり、15輌が加わって706輌の大所帯となりました。これはD51、9600に次ぐ数で、9600の多くが大陸に渡ったきりとなった戦後は第2位となりました。8620も戦争の影響を受けましたが、9600やC56のように軍に供出した車輌はなく、もともと樺太庁の車輌であったものと本土から移った13輌の計28輌がソ連占領後そのまま残り、その後の経緯は不明となっています。主要幹線に配置されていた8620も戦後は入換やローカル運転に移り、昭和30年代から若番車を中心に廃車が始まりましたが、使いやすさとその数の多さで蒸気機関車の末期まで残りました。

性能データ
全長
全高
自重
軸配置
16765mm
3785mm
83.33t
1-C
使用蒸気圧
出力
最高速度
軸重
13kg/cu
630馬力
85km/h
14.35t
シリンダ径
動輪径
製造期間
軸距離
470mm
1600mm
大正3年〜昭和5年
4191mm