1960年に入ると気動車の性能のよさは高く評価され、特急型のキハ81系、急行型のキハ58系が登場し、一般型気動車も各地で要望されるようになりました。しかし当時の生産能力はまだ低く、特急や急行用の車輌が優先されたため、とりあえず気動車不足を補うために客車にエンジンや制御機器をとりつけた改造気動車が国鉄工場で製作されました。まず両運転台のキハ40とキハ45が登場し、ついでエンジンを持たない制御気動車のキクハ45、最後に付随気動車のキサハ45が登場しました。タネ車となったのは当然旧型客車で、キハ40と45はオハ62とオハフ62、キクハ45はオハフ61でキサハ45はオハ62でした。早急に車輌不足を解決するためと改造コストを抑えるため、改造は必要最小限に抑えられたため塗装が変わっていなければ客車が転がってきたと勘違いしそうな車輌です。特にキサハ45はエンジンもなければ運転関係の機器もないという車輌ですので、塗装と形式の表記がなければ客車との区別はほとんどつきません(運転系の引き通し線の有無程度)。実際、キサハに改造していない客車を気動車が引っ張って営業についていたこともあったようです。
外観はオハ62などの客車のままですので、妻面は当然切妻でおでこの大きい車輌となり、そこに前照灯とタイフォンを埋め込み運転台の窓を開けた面構えとなっています。扉も客車時代のままの手動扉で、ドアエンジン(自動開閉のための装置)もついていませんでした。しかしキクハ45ではのちに外吊扉をとりつけ、他の気動車と同じような自動扉に改造されました。なお、扉自体は手動ですが、運転台には扉の車掌スイッチがついており、他の気動車と混結して運転する際に扉の開閉ができるようになっています。運転台はもと車掌室だった場所を改造しているため少し狭く、乗務員室の扉は運転士の座る側にはついておらず窓だけがある状態です。客室はほぼ無改造で排気管の増設も行われず、排気は機械式気動車と同じく床下排気となっています。
気動車不足のピンチヒッターとして登場したキハ40などですが、もともと旧型客車は自重が重く、180馬力のDMH17Hではややパワーが不足していました。そして1966年に新たな一般型気動車としてキハ45系が登場することとなり、形式が重なる客車改造のキハ45とその系列であるキハ40はそれぞれキハ09とキハ08に形式変更がされ、キクハ45とキサハ45は使い勝手の悪さもたたって同年に廃車となっています。機械式、電気式気動車の形式であるキハ08・09に変更されたのも、異端車であるがゆえと思われます ( なお、キハ09はすでに電気式気動車の形式に使われていましたが、この当時は全て別の形式に改造されていたため空き形式になっていました )。その後細々と北の大地で余生を思っていましたが、もともと古い車輌の改造で、出力も低く、客室設備も客車と大差ないことから気動車が飽和状態になってきた1971年に廃車されました。しかし奇跡的にキハ08-3が加悦鉄道で第二の人生を送ることになり、同鉄道の廃止後も加悦鉄道記念館でその貴重な姿が保存されています。
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