折尾駅

 乗りテツの方ならば「折尾駅」と聞くと屈指の「要注意駅」というイメージがあるでしょう。その理由は以下の図に示した駅配線図で お分かりいただけると思います。



 1・2番線と3〜5番線についてはごく当たり前の立体交差ですが、問題は6・7番線の存在です。この「鷹見口」という6・7番線も折尾駅なのですが、 ここに行くには一度改札を出て、駅前のバスロータリーを横目に200mほど行かなければなりません。しかも、この6・7番線が使われる列車の本数が 少なければある程度問題はないのですが、筑豊本線 (直方方面) の列車の半数はこのホームを経由して鹿児島本線の小倉方面へと乗り入れているのです。 したがって同じ「筑豊本線」の列車としても、この事情を知らなければホームで待っていても列車が来ない、ここはどこの駅?、鹿児島本線はどこ? という「事件」が発生してしまいます。そのような経緯でこの折尾駅の立体交差の改良工事が開始されることになったのですが、ここである問題が 浮上してきました。折尾駅の駅舎の問題です。

 この問題について解説をする前に、折尾駅の歴史を紹介します。折尾駅は九州鉄道により1891(明治24)年2月28日に開業(鹿児島本線側)し、同年 8月30日に筑豊興業鉄道が開業(筑豊本線側)しました。この際に現在のような立体交差の構造となり、折尾駅は日本初の立体交差駅と言われています。 開業当時は別々の駅舎でしたが利便性から共同駅に建て替えられ、国有化後の1916(大正5)年11月5日に現駅舎に建て替えられました。なお、この6・7番線に あたる線路は1893(明治26)年にできていましたが、ここが駅のホームとして使用されるのはJRとなってからの1988(昭和63)年3月13日です。
 このように現在の駅舎は大正5年にできたもので、これは門司港駅とほぼ同じ時期 (門司港駅は1914(大正3)年1月15日)に建てられている貴重な物です。 長年親しまれたこともあって、市民による保存運動もありましたが、移転先用地の問題、費用の問題、移転方法の問題などにより、今年2012年秋に解体される 見込みです。確かに門司港駅に比べるとこじんまりとしており、駅舎の位置も線路に囲まれたデルタ地帯の中にあるなど悪い条件がそろっていますが、 駅の装飾などは門司港駅に引けを取らない物です。駅舎以外でも4・5番線へ向かう通路はレンガのアーチでできており、ホームの一部にもレンガ造りの ものが残っています。また、近辺の道路との交差部分にもレンガアーチが使用されていたようですが、こちらはすでにコンクリートのものに代えられて 取り壊されてしまいました。これとは別に大型のレンガ構造物が駅の前、短絡線の近くにもありますが、これはかつてあった九州電気軌道 (のちの西鉄 北九州線) の線路跡です。この路線は1914(大正3)年6月25日に開業し、先にあったこの短絡線を越えてデルタ内にあった駅 (終点) へのアプローチ (線路との交差自体はレンガではなかった模様) となっていました。2000(平成12)年11月26日に廃止となってからも、このレンガアーチだけはそのまま 残り、これに関しては保存の方向でまとまっているようです。門司港ほどではありませんが、このように歴史的にも古い構造物が集まっており、駅舎ともども 保存する方向とならなかったのが悔やまれるところです。

 残り時間はあとわずかとなっていますが、「鉄道の日きっぷ」などもありますので、もし少しでも興味があれば、ぜひとも折尾駅駅舎最後の姿を 目に焼き付けてください。一番いいのはこうした駆け込みで見に行ったにもかかわらず、一転して保存となった...ということなんですけどね...。
 以下、折尾駅などの写真です。

その1
その2
その3
その4
その5

その6
その7
その8
その9
その10
きはゆに資料室長