石勝線火災事故

 今回は各鉄道雑誌の東日本大震災の被災報道について取り上げる予定でしたが、石勝線にてトンネル内で車輌火災事故が発生したため 予定を変更してこの事故について考察してゆきます。なお、この文章中では6月10日までに入手した新聞記事、およびJR北海道の発表を 参考にしています。

事故の概要

 この事故は2011年5月27日21時56分ごろ、石勝線新夕張〜占冠の清風山信号所付近で発生しました。事故のあった列車は釧路発札幌行き スーパーおおぞら14号(4014D 283系気動車6輌編成 乗客240名、乗員4名(5名の可能性も))。編成各車は以下のようになっています。

 この編成中の3号車(キロ282-7)前位側推進軸が脱落し、これにより3号車が脱線(のちに復線)、のち2号車も脱線し、1、2号車の燃料タンク、 エンジンにこの推進軸が当たったためか、漏れ出した燃料に1号車後位側エンジンに引火しました。この推進軸脱落時か、3号車脱線時かは判然しませんが 3号車にいた車掌が異音を感じ、運転士に非常手配を取り清風山信号所を抜けた第一ニニウトンネル内で非常停止しました。(下図参照)
 非常停止をした段階では運転台のモニターでは1、2号車の機関が停止した旨の表示は出ていたものの、火災の表示は出ていませんが、1〜3号車では 車内に床下から白煙が入り始めており、ほどなく1〜3号車の乗客を前の車輌に避難誘導を行いました。同時に指令からの支持でトンネル内から出るため 力行を指示されたもののできず、列車はトンネル内で立ち往生した状態となっていました。このあと指令と運転士・車掌との間で確認作業などをやりとり している間にもどんどん煙は充満してゆき、確認作業をしている間に乗客の判断により非難を開始していました。最終的に全員がトンネル内から脱出したのは 事故発生から1時間半後でした。幸い死者は出なかったものの、36名が病院に搬送され4名が入院することとなりました。石勝線も28日まで運休し、特急が 計22本運休しました(この区間は普通列車の設定なし)。

この事故の問題点

 この事故における問題点は1.トンネル内の火災事故、2.推進軸という重要部品の脱落、3.非常事態発生時の確認と連絡方法の3点にあると思われます。

 まず、この事故において最重要の問題であるトンネル内での火災事故について考えてゆきます。トンネル内での列車火災といえば北陸トンネルの事故ですが、 今回の場合も動揺の事態になりかねない手前であったところでした。列車が停止した第一ニニウトンネルは全長685mの“鉄道トンネルとしては”短いトンネル でしたが、これを過ぎると道内最長、全長5825mの新登川トンネルに入ってゆくことになります。北陸トンネルの全長13870mには及びませんが、単線のトンネルの 場合では火災が発生すると一方の逃げ道が断たれてしまうため、トンネルの入口付近に停止しても反対側にまで避難しなくてはなりません。今回の事故においても 編成の最後尾はトンネルの出口から100mほどだったのですが、最後尾の車輌が火元であったため乗客は先頭の車輌から約500mの距離を歩かなくてはなりませんでした。 もしこれが新登川トンネルであったとしたら、乗客の避難距離は北陸トンネルの場合と同じぐらいになるところでした。
 この北陸トンネルの事故を教訓に、トンネル内で火災が発生した場合はトンネル内で停止せずトンネルを抜けた安全な場所で停止、避難するように改められ ました。しかし今回の場合は火災と確認できなかったためトンネル内で停止し、さらに北陸トンネルの場合と同じく再力行ができない事態に陥りました。 停止後列車はしばらくエンジンがかかった状態(1、2号車は停止、3号車は不明)でしたが、指令の指示により一度全車の機関を停止し、その3分後に 乗客を避難させた先頭車のみ機関を再起動させて脱出を図りましたが、機関が始動しませんでした。当初煙が立ち込めるトンネル内へ乗客を避難させるのは 危険と判断し、乗客を車内に残したまま脱出を試みたことが、逆に脱出への時間を遅らせることになりました。
 次に、今回の事故はエンジン(変速機)と減速機をつなぐ「推進軸」が脱落し、これが後部車輌の燃料タンクやエンジンに当たったことで火災が発生したと みられますが、そもそものきっかけは減速機を支えるピンが脱落したことを発端としています。つまり、減速機を支えるピンが脱落したことにより逆転器に 「揺れ」が生じ、この「揺れ」により減速機と推進軸をつなぐジョイント部分が疲労・破壊され、推進軸が脱落 (推進軸は長さが調整できるように径の異なる 筒によって構成されているため折れたのではない) したのです。このピンについては1994年に脱落する事故が起きており、このピンの脱落を防止する対策 (別の ピンを挿すことで脱落を防ぐ) も採られていましたが、今回の事故ではその対策の効果は発揮できていませんでした。これについては、なぜ予防できなかったか まだ原因はわかっていません。
 最後に、この事故において問題となっているのが「火災か否か」ということでした。火災であればトンネル内で停止するということはなかったはずですが、 少なくとも運転士、車掌においてはまだ「火災」とは認識せず「白煙の発生」という認識に過ぎませんでした。しかし乗務していた客室乗務員 (車内販売や案内を 担当) の一人は編成の最後尾に居り、火災発生を認識していました。しかし車掌も火災発生を認識していると思い込んでいたため、避難誘導はするものの 火災発生を他の乗務員には伝えていませんでした。ではなぜ運転士や車掌は火災を認識できなかったのでしょうか。
 運転台にある表示灯には「火災」や「排気温高」といった表示があるほか、隣接するモニターにもこうした非常時には異常個所が示され警報音が鳴るように なっています。しかし今回の事故の場合は「機関停止」や「逆転機不調」といった表示はされたものの、火災に関する表示も警報もなかったのです。その後 車掌はトンネルの出口までの距離と時間を測るために車外に出、運転士も先頭車輌のエンジンを始動させるために車外に出ましたが、火災発生の確認を行って いません。事実、運転台に同席していたとされるJR北海道の社員 (運転士 当初の発表では乗務員の数に含まれておらず、どのような立場かは不明 ただし無線 交信も行っている) が22時30分の段階において火災は発生していないと指令に報告していますが、一方で22時15分の段階でこの社員が火災警報のブザー音を聞いており、 22時18分の段階で車外から戻った運転士が火災表示灯 (モニターではない) を認め、ブザー音も聞いています。指令へのやりとりでは「火災は発生していない」と 報告されているため、22時40分に指令から消防へ通報がなされたものの、それは「車内に煙が充満している」といった内容でした。その後現場に到着した警察官から 「火を見た」という報告があり、23時35分に消防に「警察官が火を見た」という伝聞の形で連絡をしたものの、JRとしてはまだ火災と認識していない状態でした。 その5分後、現場に到着した消防隊により火災と認識され、ここで正式に火災への対策がとられることになりました。
 こうした情報の錯綜の結果、避難誘導はどんどん遅れ、乗務員による避難誘導を始めたのは事故発生から40分が経過してからでした (それまでに一部の乗客が 避難を開始していた模様)。停止する前の段階で火災を認識していれば停止位置を変えることも出来たはずですし、停止してからも火災の発生を把握していれば 直ちに避難誘導を開始できたはずです。また、火災を把握し、消火を早くに要請をしていれば火元側からの脱出も可能だったかもしれません。

今後考えるべき対策

 北陸トンネルの事故の場合は車輌内部からの出火であったため、停止せず走り続けることは可能でした。ただ、今回の場合は車輌が脱線していたため、 簡単に力行を続ける事が困難な状況であったことも事実です。けれども「直ちに停止」とせず、トンネル内にかかる場合は「すぐに脱出が出来る位置まで徐行し 停止」とすべきではないでしょうか。そもそもトンネルが連続し、長大トンネルも控えた人家も少ない区間であれば別の対処法を設定すべきです。また、「火災」の 場合はこのように対処がある程度考えられている一方、「煙の発生」の場合は対策が講じられていなかったことも問題です。電車にしろ気動車にしろ、火が出て いなくても煙が出ているということは何らかの異常が発生していることに違いはないので、火災につながることも見越して対処すべきではないでしょうか。
 鉄道車輌の防火対策は北陸トンネルの事故を契機に行われることになりましたが、これはあくまでも車内で発生する失火や放火を念頭においているもので、 車輌外からの力、例えば今回の事故のように部品の欠落によるものや、踏切事故による自動車などが原因によるものについては対策がされていません。むしろ、 そこまでの防火対策を行うことは不可能なのです。タンクローリーが衝突しても燃えない車輌となれば、それは通常の鉄道車輌ではなくなります。車輌自体の防火には 限界がありますが、これを阻止する方法は考える事が出来ます。
 今回の火災の直接的な原因は脱落した推進軸が燃料タンクに当たり、破損して燃料が漏れ出したことによりますが、この推進軸の脱落という重大な事故は 意外と発生件数が多く、JR西日本管内だけでもすでに7件が発生しています。いずれも今回のような重大事故にはつながらなかったものの、その発生数には 驚きを隠せません。かつて気動車創成期にキハ41000の推進軸の自在継手 (今回脱落した部分と同じ場所) が切断し、床板に穴が開く事故が発生し、この教訓から 次に設計されたキハ42000では推進軸が脱落を防止する金具が取り付けられました。そもそもこの事故の原因は工作不良であり、設計ミスではなかったのでしたが 万一の事態に備えた対応として見習うべきものであると考えます。
 トンネルにおいて車輌火災が発生した場合、気動車などの内燃車輌は脱出がしやすい車輌に分類されます。電車であればユニット単位が揃わなければ運転 できないこともありますし、火災やショートにより停電すれば脱出する動力を失うことになります。少なくとも国鉄時代の気動車であれば、運転台のある車輌ならば 単独で運転することは可能ですし、おそらく現在の車輌でもそれは可能であると思われます。けれども今回の事故では気動車であったにもかかわらず脱出が不可能と なりました。全機関を停止する前の段階で力行が不可能であったため、たとえ機関を全停止せずに編成を一部切り離して脱出させる方法が成功したかはわかりませんが、 脱線車輌や火災による制御回路の問題発生であれば、早い段階において被災車輌を切り離して脱出させることは可能ではなかったかと思います。先頭車輌のみの エンジン再起動が出来なかった原因もよくわかりません。トンネル内の空気の問題、制御回路の問題、作業手順の問題...。様々な事が考えられますが、 この最終手段が使えなかったことは大きな痛手であったことは間違いありません。万が一気動車においてもある程度のユニット単位でしか動かせない車輌システムで あるなら、単独で運転できるように変更する必要があります。できるならば電車などにもこれができるようになればいいのですが。
 火災発生の遅れは単なる乗務員間の意思疎通不足だけではないと思われます。もちろん、最後尾の客室乗務員が車掌に報告していれば火災発生を早くに認知 していたはずですが、その後の火災発生認知の遅れについては次のような要因も考えられます。
 問題となるのはモニターの存在です。運転台に設置されているモニターは車輌の状態、客室の温湿度・乗車率などを一目でわかるようになっていますが、一目で わかるがゆえにそれに頼りきり、実際に不具合が疑われる現場に赴く事が疎かになっていたように思われます。モニターではなく警報表示灯についても、それは あくまでもある特定の場所にあるセンターが異常を感知しなければ反応しないのであり、それ以外の部分が発生した異常、今回のような火災などが発生した場合 表示灯にもモニターにも異常は検知されません。車輌異常を疑い停止した場合、モニターだけでなくただちに車輌全体を目視で点検するようにしないとこうした 事故を防ぐことは出来ないでしょう。
 最後に、今回トンネル内に停止したことで、避難誘導を開始する時間がかかりすぎたことも問題でした。もちろん火災発生の認知の遅れや、車輌による脱出を 試み、失敗したこともありますが、トンネル出口までの距離と時間を調べる必要があったことも大きなタイムロスを生む事になりました。事故編成の先頭車輌から トンネルの出口まで10分程度かかったとされており、車掌が一度この出口まで出たところで運転士に避難を開始するよう無線連絡したものの、無線がつながらず 事故車輌まで戻って避難を開始させたため余計に時間がかかりました。この第一ニニウトンネルに照明設備や非常電話が備わっていたかは不明ですが、これ以外にも ある程度の間隔でその場所がトンネルのどのぐらいの位置で、それぞれの出口からどれぐらいの距離があるかを表示しておく必要があるのではないでしょうか。 もちろん照明で照らす事が出来れば言うことはないのですが、これが出来なくても一定のルールのもとに設置すれば、わざわざトンネルの端まで歩く必要は ありません。一刻を争う避難においては、こうした少しの工夫が人名を助けることにつながるのです。

 今回の事故は幸いにも命を落とされる方はいらっしゃいませんでしたが、いくつもの偶然によりその危険を免れたところもあり、危険を増やしたところもあります。 この事故の発生後もエンジントラブルの事故が発生しており、事故の連鎖だけは防いでいただきたいものです。死者が出なかったから良かった、では済まさず、 今後もこうした事故が発生しないように、発生しても重大なものにつながらないように対策をとっていただくことを願い、まとめとします。
きはゆに資料室長