東日本大震災

 まず最初に、このたびの地震、津波によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、地震、津波そして原発事故により避難生活を 余儀なくされている皆様にお見舞いを申し上げます。このようなありきたりな表現でしかご心情をお察しできないことを恥じつつ、微力ながら 被災地域の復興と、被災されました皆様が不自由のない日常生活を送る事が出来るようお祈り申し上げます。様々な事について書かなければ いけないのですが、鉄道のことを中心に書いてゆくことをあらかじめお断りいたします。

 この地震において、私自身の親族などは被災地域に住んでいなかったので無事でしたが、知人の実家が最も震度が激しい地域であったり、かつて プレゼントクイズにご応募していただいた方が津波被害のあった地域にお住まいの方 (ご応募いただいた方の個人情報は消去していますが、漠然と どの地域から応募された方は記憶に残っています) もいらっしゃり、決して他人事とは感じられません。また、去年の4月には八戸から宮古にかけて 沿岸部で乗車し、八戸〜久慈の八戸線の車窓をビデオで撮影をしていたこと、久慈市内で食料の買出しを行うために少し町を歩いたこと、三陸鉄道 乗車時に向こうの海が見えないほどの高い防潮堤と水門を目撃し、改めて津波対策に万全を期していることを感じていたところでのこの災害です。
 さらに、その3年前には津波被害の大きい気仙沼線の前面展望を全線で撮影していました。途中下車はしていなかったものの、歌津、志津川など、 ニュースでその地名を耳にするたび辛く、悲しく、やりきれない想いで一杯でした。これらの地域は公団線として開業した区間で、トンネルを抜けると 駅、という感じで、前面展望では集落はほとんど見えないものの、駅から列車に乗る人の姿は映っています。その方が今回の震災でどのようになったのかは 知る由もありません。新聞で被災した駅の写真を見たとき、その被害の大きさに驚きました。改めて地図で確認すると、たしかに海からは近いのですが、 盛土上の駅でそれなりの高さがあったはずでしたが、駅全体が完全に波にさらわれ、ホーム上屋が折れ曲がっていました。しかしそれはまぎれもなく ビデオに映っていたあのホーム上屋なのです。
 このように書いていますが、記憶を頼りに書いているので若干記憶違いのところがあるかもしれません。撮影したビデオを見ればわかることですが、 それはあまりに酷で、見る事が出来ません。この気仙沼線の映像も、八戸線の映像も、このような事態になるとは思いもしないので、そこに映し出されている あまりにも普通の日常風景が、今となっては見る事が大変辛いのです。いずれ町が復興し、人々がそれまでと変わりのないような生活が送られるようになれば 見る事が出来るのかもしれませんが、今はまだ無理です。この映像を見る事が出来るようになったならば、私にとってこの震災の復興が進んだと思えるのかも しれません。

 まだ震災発生から1ヶ月も経っていませんので、まだまだ復興の道のりは見えてきませんが、一部の路線では運転が再開され、インフラとしての使命を 取り戻しつつあります。とりわけ三陸鉄道では北リアス線の一部区間ではあるものの復旧し、「復興支援列車」として被災された方に対し無料運転を 行い(3/31まで)、4/5現在では割引運賃で運転し、罹災証明書を提示すれば無料で乗車できるようになっています。鉄道が地域の足として単に復旧するだけでなく、 その地域の人のことを一番に考えて運転を復活するという、その地域の鉄道だからこそできることを実行するということは簡単に見えて難しいことです。 そのようなことができた三陸鉄道はすばらしいのですが、被害は甚大で特に南リアス線は復旧の目途が立っていない状況です。こうして地域の足として再び 脚光が浴びているにもかかわらず、その一方で廃線の危機に瀕しているのも皮肉なものです。

 最後になりましたが、改めて被災地の復興、被災者の生活の再建とともに、被災路線の復旧を祈り、今回のコラムの結びといたします。

きはゆに資料室長