可部線復活?

 今、ちょっとした話題になっているのが可部線です。その理由は敗者復活ならぬ、廃線復活が実現するかも...ということだからです。 ただ、可部線の復活劇は今回だけではなかったのです。

 まずは可部線の概略からお伝えしましょう。可部線とは広島県にあるローカル線で、広島の隣、横川駅から分岐し、可部までの15.4kmを結ぶ路線です。 発足は1909(明治42)年11月に横川〜祇園 (廃駅 現在の下祇園〜古市橋) が大日本軌道広島支社により開業し、翌1910(明治43)年12月には上八木までが、 さらに1911(明治44)年6月には可部までが開業します。この開業当時は非電化の軽便鉄道で、一部は併用軌道となっていました。その後、1919(大正8)年には 可部軌道が買収し、1926(大正15)年には可部軌道が広島電気に併合されます。広島電気時代に併用軌道の専用軌道化が行われ、同時に電化も進められ 1930(昭和5)年1月1日に全線の電化、および1067mm軌道化が完了しました。翌1931(昭和6)年には広浜鉄道に譲渡され、1936(昭和11)年9月1日に 買収国有化されます。
 戦前においては広島電気〜広浜鉄道時代の電車が主に使用され、貨物もこの電車の牽引により行われていましたが、戦時中の輸送増により貨物はC12の 牽引となり、電車も中野と津田沼からモハ1形とクハ6形 (いずれも木造車) が昭和15年ごろから転属し、最盛期には買収車3形式計9輌と、モハ1が4輌、 クハ6が3輌の総計16輌となっていました。しかし1945(昭和20)年8月6日の原爆投下により買収車6輌が焼失、1輌が中破、木造国電が3輌大破しました。 このうち中破した買収車は復旧され、1953(昭和28)年に廃車後に熊本電鉄に譲渡されてモハ72となりました。  戦後は再び木造国電の転属、他の買収国電の転入、17m級国電 (クモハ11・クハ16など) の導入、73系への置換えを経て、国鉄末期には105系化されたうえで 現在では103系なども入るようになりました。
 一方、路線の延長は戦時中に中止されていましたが、1946(昭和21)年8月15日に布まで、1954(昭和29)年3月30日に加計までが非電化で開業します。加計から 先は「本郷線」として建設されることになり、昭和32年に調査線となります。しかし昭和40年代に入ると国鉄の赤字路線が問題となり、1968(昭和43)年には 国鉄路線として再検討すべき路線、いわゆる「赤字83線」に可部線の可部〜加計が入ってしまいます。その一方で本郷線の建設は進み、1969(昭和44)年7月27日 に三段峡までが開通しました。一応この時点では新開業部分は「赤字83線」には入っていなかったため、このまま廃止論議が進むと路線の途中で線路が 分断されるという事態となりかねませんでした。結局のところ「赤字83線」で指定された路線のうち実際に廃止されたのはわずか11線 (部分廃止、旅客営業廃止を 含む) で、可部線を含む多くの路線は存続することになりました。可部線の営業区間は結局この三段峡が最終地点となりましたが、三段峡から先、浜田までを 結ぶ「今福線」の計画が戦前からあり、浜田側では実際に着工されていました。国鉄末期の赤字ローカル線廃止において可部線は廃止対象路線には入らなかった のですが、当然この「今福線」については建設中止となっています。(余談ですが、今福線は戦時中中断された戦前の着工区間と、ルート変更された戦後の新規着工 区間があり、この両方が建設中止となっています) このようにして生き残った可部線でしたが、JRとなってからも非電化区間の乗客減少は収まらず、2003(平成 15)年11月30日に可部〜三段峡が廃止されました。
 しかし廃止当初から沿線では復活の機運は低くなく、線路の存置などが行われている区間もありました。そして現在、可部線沿線でも宅地化が進み、可部線の 利用者数は増えています。こうした流れを受けて可部駅から一駅先の河戸駅までの1.3kmと、その先に設置される新駅までの約2km (恐らく茶臼山トンネルまで) が 復活される見込みとなっています。この復活に際してはJR西日本も前向きなのですが、問題がないわけではありません。最大の問題は踏切です。JR側は 廃線復活については前向きですが、この区間にある踏切 (河戸駅までで6ヶ所) に対する処理について地元と対立しています。これは国の踏切事故対策の方針に基づき、 踏切の新設は避け、立体交差を進めたいJRと、通行の利便性を求める地元側での食い違いがあるからです。幅の狭い踏切が多いのですが、単純に踏切の廃止と なると確かに不便が生じます。また、河戸駅まででもやや幅の広い踏切があり、河戸駅から先では大きな道と交差する踏切もあります。歩行者専用の地下道であれば ある程度なんとかなるかもしれませんが、自動車の通行を可能にするとなれば用地も費用も大幅に必要となります。これらの踏切の多くは並行する主要道からすぐに 分岐するところにあるため、地下道や立体交差がしにくい環境にあります。
 廃線の復活は鉄道好きにとっては願ってもないことなのですが、時の流れに伴う事情の変化がそう簡単には許してくれません。これは廃止に対して、鉄路の復活が いかに難しいということを物語っています。もし今回の場合「休止」ということであれば踏切は既存施設の使用ということでなんとかクリアできたかもしれませんが 一度廃止したのちに新規開業するとなると現在の基準で行わねばならず、廃止前の状態での運転再開は難しくなる事が予想されます。特に路線の開業が古い路線で あればあるほど現在の基準に合致させることは難しく、復活は難しいものとなります。今回のような復活劇は非常に好ましいのですが、そもそも廃止にならなければ このように復活でゴタゴタすることはないのです。ともあれ、広島駅から乗車する可部線車輌の行き先が新たに増える日を待ちましょう。

きはゆに資料室長