JR東海博物館(仮)

 2011年開館を目指しているJR東海の博物館の展示予定車輌が発表されました。発表された36輌のうち11輌が新幹線などと、ある意味JR東海らしい ものとなっています。最近美濃太田に保留車扱いで留置されていた車輌が次々と廃車となり、このうちどれが (どれだけが?) 博物館入りするのだろうと 思われていた方もいらっしゃるのではなかったでしょうか。一方でJR東海管区では博物展示のさきがけであった佐久間レールパークがこの博物館に統合 されることになり、こちらの展示車輌の動向も注目されていました。かつて、飯田線ゆかりの車輌であったクモエ22が展示車輌から一転し解体されるという ことがあっただけに、全員仲良く博物館入り、と思われた方はどれだけいらっしゃったでしょうか。事実、操重車や事業用車など地味な車輌が博物館入りから 落選しました。
 ここで気になるのは、これら博物館入りを逃した車輌の処遇です。佐久間レールパークのソ180、クヤ165、スハフ34 (オハフ33)。美濃太田のキハ58+28+キロ28、 キハ・キロ80、クモハ103、モハ381-1、オハフ46の残り2輌 (元車番で発表されているので特定が出来ません)、美濃にいるであろう伊勢のキハ30などなど...。 いずれも貴重な車輌ばかりです。特に旧佐久間の車輌は保存車から一転、解体という悲劇的な事態も予想されます。地味であったり人気がないとかいう理由は あるのかもしれませんが、もうここだけにしかないということも考慮してもらいたいものです。
 さて、当資料室としてはやはり気になるのは気動車の博物館入り車輌です。発表された車輌の中で、気動車は佐久間レールパークで展示されていたキハ181-1、 キハ48036 (キハ11-37)、美濃太田からキハ82-73。そして驚いたのが、明治村から蒸気動車のキハ6401が帰ってきます (厳密にはゆかりはないかもしれませんが)。 気動車のルーツである蒸気動車がようやく鉄道関係の博物館に戻ってきたことは大変喜ばしいのですが、一方で当然博物館入りすると思われていたキハ58系が 全く入っていないのは衝撃でした。キハ58系(キハ56系を除く)の保存車が全国どこにも全くない、ということはないのですが、保存場所が知られていなかったり、 非公開、または公開時期が限定されているもの。または屋外保存のため、いずれは朽ちてゆく可能性が高いといった不安が満載です。だからこそ、こうした博物館で 保存を、と願うのですが、やはり多数派の車輌というのは敬遠されるのでしょうか?過去を振り返ってもキハ17、キハ26といった時代を作り、多数存在していた 形式の車輌はいずれも保存されずに消えてしまい、派生形式が保存されているに過ぎない場合がほとんどです。キハ20と22の場合は幸いにも保存施設で保存され (いずれも屋外というのが不安ですが) 主幹形式が全く保存されないという事態こそ避けられたものの、最も時代を作り上げた形式の車輌が残らない、しかも 長く保管していたにもかかわらずに、それも原形を多くとどめているものを。JR東日本のキハ58系はたとえ保存されたとしても、「参考」扱い程度にしか ならないと思います。理由はエンジン交換、車体更新による外観の変化など、見た目だけでなく技術面においても重要な変更がなされているためで、学術的な 側面を持つ博物館としては、キハ04のように代替車輌がないなどやむをえない事情がなければ保存すべきではないでしょう (鉄道博物館のキハ04は液体変速機となり 運転機器も大きく変化している)。一方、美濃太田にあったキハ58系は紀勢東線 (あえてこのように言います) で使用されていたもので、エンジンも座席配置も 原型のまま。塗装も国鉄急行色で、車番が若くないということを除けばこれほど展示車輌として適当なものは見つかりません。特にJR西日本のキハ58系がどんどん 廃車され、残る車輌はセミクロス改造であったり、アコモ改良車であったりと、微妙であっても本来の姿とは異なっており、そもそもそれを保存する気があるのかも 不明であるのですから、みすみすこの「お宝」を腐らせる必要があるのでしょうか。しかもキロまで残っているのであれば、たった3輌であっても往時の編成を 垣間見るような展示も可能です。そのような発想に至らないのが、新幹線ありきのJR東海に残ってしまった悲劇なのでしょうか。
 博物館展示が無理ならば、せめて工場、車輌所公開の際に展示するといった配慮をお願いしたいものです (といっても、JR東海の公開って少ないないですけど)。
きはゆに資料室長