JR西の鉄道博物館構想

 去る2月23日、JR西日本はこのような発表をし、新聞記事にもなりました。

「2014〜15年ごろに、梅小路蒸気機関車館の西隣に新たな鉄道博物館を新設することを京都市に提起した」

と。  このままの意味ならば大歓迎なのですが、素直に喜べるかどうかわからない事情もあるようです。
 まず、この「新」鉄道博物館は弁天町にある交通科学館の展示車輌などを移し、蒸気機関車館とともに運営をする、ということ です。つまりは交通科学館と蒸気機関車館を統合するようなもので、交通科学館のある弁天町はシミュレーターなどを中心に 体験型の施設にするという構想なのです。別にそれでもいいじゃないか...とおっしゃる方も多いと思うのですが、この発表 通りならば単なる経営合理化にすぎません。そもそも交通科学館の保存車輌はそれほど多くなく、単なる「お引越し」に終わる 可能性も大きいのです。当のJR西日本は「さいたま市の鉄道博物館と並ぶ聖地にしたい」と目論んでいるようですが、鉄道 博物館があれだけの人気を得ている理由を根本的に誤解しているのでは、と思ってしまいます。
 蒸気機関車館の保存車輌は省略するとして、交通科学館の保存車輌を紹介すると、
蒸気機関車ではC62-26、D51-2、古典機関車の230、1800、7100。
ディーゼル機関車はDD13、DF50、DD54と多少珍しいものがある一方、
電気機関車はEF52のみ。
電車では新幹線のトップナンバー編成にクハ86001とモハ80001(と、カットモデルの車番なし101系前頭部)。
気動車はキハ81-3、そして客車はスシ28301とマロネフ59-1、そしてレストランとして使用中のナシ20というラインナップ。
 機関車などは比較的なじみの高いものもあるのですが、旅客車輌のほうは貴重ではあるものの、なじみの薄いものが多く、数も 少ないというのが正直なところではないでしょうか。特に電気機関車はEF52のみであり、「さいたまと並ぶ...」と期待する のであれば展示物の充実も図るべきではないでしょうか。
 けれども現実的にはあまり期待できないと思います。すでに鉄道博物館に持っていかれたということもあり、そのような車輌が ないということも事実ですが、あまり保存などには乗り気でない、というのが本音だと思います。実はJR西日本には各所に秘宝を 持っているのも事実ですが、工場公開の際に出てくるか...という存在でしかありません。そもそも「展示用」としながら公開の 機会が全くないという所もあります。その秘宝は電気機関車ならばEF58、EF60、EF15が宮原に、EF64-1が岡山に。電車 ならばクモハ42が幡生にあり(クモハ11も一応ありますが...)、クモハ52001が吹田工場に、クハ103-1と2はまだ現役で走って いるほか、583系も原型に近い状態というのも注目すべき点ですし、クハ489はボンネット車が残っています。気動車のほうでは キハ58+28も国鉄色での保存はまだ間に合いますし、キハ23のトップナンバーも幡生で保管されています。客車の方ではマイテ49 などは有名ですし、オハ46とオハフ33はすでに梅小路で見る事が出来ます(放置、と言うほうが正しいかもしれませんが)。あと 梅小路には知られざる保存車としてオハフ50があります。休憩所として使用されているのですが、ほぼ原形を保っており、50系 客車の保存車がまともにない点で意外な貴重品と言えます。また、ブルトレの減少により24系や14系寝台車もその候補となる 可能性があるなど、考え方によっては展示車輌などはどんどん出てくるのです。もちろんここに紹介した以外にも、本当の「秘宝」が どこかに眠っているかもしれません。
 展示車輌の数などに関して問題提起をしましたが、一番大事なのは展示する側がどこまで本気を出して取り組むか、ということに つきます。鉄道博物館には残念ながら岩手・宮城内陸地震で亡くなられた岸由一郎さんという学芸員さんが熱心に展示車輌の交渉、 展示方法などに取り組まれ、大勢の入場者という形で実ることになりました。単に「東でこういうものがはやっているから西で 同じようなことをやれば当たるだろう」とか「話題を出せば人は集まるし、合理化にもなる」などといった考えがある以上、成功は しません。鉄道事業であれば鉄道に興味がなくてもビジネスとしてある程度はやっていけますが、鉄道の博物館を運営するので あれば鉄道が好きでなければ成功することはあり得ません。好きだからこそそれを好きな人の気持ちがわかるのであり、好きな人を うならせる事ができ、リピーターとして再び足を運ばせる事が出来るのです。博物館というものは一度来たら終わり、では成り立ち ません。もう一度来たい、と思わせる事が大事なのです。展示物自体も重要ですが、いかにして見せるか、ということも重要です。 単に線路に車輌が乗り、案内板があるだけならば、公園や小学校にある展示車輌と大して変わりがありません。その車輌の魅力を どのようにして引き出すのかが博物館の手腕なのです。その手腕がはたしてJR西日本にあるのか?そしてそれだけの情熱を持った 人物がいるのか?引き続き注視してゆきます。
きはゆに資料室長