DMH17系の終焉

 もう毎年の言葉となりつつありますが、2007年度もまた国鉄型車輌が大幅に数を減らしました。ブルートレインもまた数を 減らし、もう見納めか、とまで言われるようになりました。JR東日本では201系が大量消滅し、JR東海では旅客営業用の 国鉄型車輌はキハ40系と117系だけ(211系は含めないものとしました)となりました。気動車の世界でも盛岡のキハ58・52の撤退、 JR四国の置換えなど大きな話題がいくつもあります。そしてこの話題は、ある一大グループの終焉を予告しているのです。 そのグループこそ、DMH17系なのです。

 DMH17。知らない人には全く何のことかさっぱりわからない、アルファベットと数字の羅列による形式ですが、気動車について ちょっと勉強をされたことのある方ならばピンとくるはずです。そう、このDMH17とはエンジンの形式です。厳密に言えば、この DMH17にはいくつか種類があり、DMH17Hというように「17」のあとにアルファベットが追加されます。有名なところではDMH17Cや DMH17Hがありますが、発電用のDMH17Gや、私鉄機関車用のDMH17Sなども存在しました。そのため国鉄気動車はもちろん、私鉄の 気動車などにも多く使用され、非電化鉄道には欠かせない存在でした。キハ58系やキハ52に使用されていることで有名なDMH17系 エンジンですが、その歴史は古く、開発は戦前にまでさかのぼります。
 歴史の説明の前にDMH17という意味を確認しておきます。DMH17のDMとはディーゼルエンジンを意味し、その次のHはシリンダ数を 示しています。Hはアルファベットの8番目なので8気筒、となります。数字の17とは排気量を示し、単位はリットル。つまりDMH17の 排気量は17リットルもあるのです。戦前において、DMH17と似たような名前のエンジンがありました。その名はGMH17。最初がGMと いうだけで、あとは同じ。ではそのGMとは何か?となるのですが、これはガソリンエンジンという意味です。ガソリンエンジンと ディーゼルエンジンは構造上全く違うのですが、出力を同じとするためシンリダ径などの大きさをそのまま流用したため、一文字 違いの形式で生まれることになりました。戦前において、気動車といえばガソリンエンジンでした。しかし、西成線(現在の桜島線) での脱線炎上事件をきっかけに、簡単に引火しないディーゼルエンジンの開発が急がれ、試作車も登場しました。ところが時は 日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争も目前の時代。燃料統制も年々厳しくなり、ディーゼルエンジンの開発どころか、気動車の 運行すらままならない状況へとなってゆきました。
 戦後、車輌不足から燃料がないために休車となっていた気動車たちもようやく動く事が出来るようになったのですが、エンジンの 老朽化や燃料価格の問題。そしてガソリンエンジンという根本的な問題があり、再びディーゼルエンジン開発が動き始めるのでした。 幸い、戦前に研究していたエンジンが発見され、昭和27年に新製したキハ42600(キハ07-100)にDMH17が搭載されたのでした。 なお、このとき同時に完成したのがDMF13で、こちらはキハ41300(キハ04)のエンジンとしてガソリンエンジンと取り替えられました。 その後、キハ17系、キハ55系、キハ20系とマイナーチェンジを重ねたDMH17は昭和35年にある転機を迎えることになります。それが 初の気動車特急、キハ81系に使用するDMH17Hでした。それまでのDMH17〜DMH17Cはシリンダが縦に並んでいましたが、この場合 客室の床にエンジン点検用のハッチを作らねばならず、ここから匂いや騒音が漏れ、サービス上問題がありました。もちろん、 このような状況のままでは特急気動車などは成立しません。そこで考えられたのがシリンダを横に寝かせる「横型機関」とする ことでした。これにより客室に点検蓋を設けずに済み、また、車輌の強度を高めることもできるようになりました。点検整備も 客室の座席の間で行わずに車外から行う事ができるようになり、保守側からも喜ばれました。こうして登場したのがDMH17Hなのです。 この横型機関DMH17Hは大変好評で、キハ58系、キハ35系、キハ23系と、その後登場した気動車のほぼ全てに使用され、昭和44年5月の キロ28-2518まで続きました。縦型のDMH17Cとあわせると、4000台以上のDMH17系エンジンがこの時点で製造・使用されていましたが、 すでにこのとき出力不足が顕著な問題となっていました。
 最終型のDMH17Hでも180馬力。勾配路線ではエンジンを2基搭載しなければならず、新性能化させた電車と比較すれば見劣りする 存在となりつつありました。昭和30年代には高出力エンジンの試作も行われ、昭和43年にはキハ181系が登場していました。急行型 気動車もキハ181系と同じDML30H系エンジンを搭載したキハ65が昭和44年に登場し、ここにDMH17系の時代は一区切りすることと なりました。その後キハ40系にはDMF15HS系が、国鉄末期には直噴式のDMH13HS系が登場し、エンジンの高性能化はますます進んで ゆきました。国鉄からJRになると、それまでその数の多さから手付かずだったDMH17系エンジンの車輌に変化が出てきました。 もともと老朽化の激しいDMH17C機関を使用している車輌はどんどん廃車され、DMH17H使用車輌もキハ58系非冷房車やキハ35系を 中心に廃車が行われました。JR東日本においては火災防止工事や車体更新工事と変更して、エンジンの換装が行われるように なり、いち早くDMH17系エンジンを全廃し、JR東海においても、急行用のキハ58系のエンジンをカミンズ製のエンジンに 取り替えて高性能化を図るなど、急激にDMH17系離れが進みました。その後も老朽廃車などによりその数を減らしていましたが、 近年保守点検の手間や部品入手の問題、そして環境問題により、急速にその速度か速くなり、現在では「確実に乗る」ことが 大変難しくなるほどその数は減っています。2008年4月1日現在のDMH17Hの車輌は、JR西にキハ58と28が4輌ずつ、キハ52が3輌。 JR四国にキハ58が6輌、キハ28が2輌。JR九州にキハ58が2輌とキハ28が1輌。総計ではキハ58・12輌、キハ28・7輌、キハ52・3輌 という、かつての栄華はどこ行ったのかと思わせるような状況です(保留車は除外しています)。これらの中には特別な列車や波動用 としている車輌も多く、定期列車として使用されているのはごく僅かというのが実態です。
 もう一つ注目すべき点があります。私鉄にあったDMH17系機関のことです。非電化私鉄には自社発注の車輌のほかに、国鉄払い下げ の車輌、他社私鉄譲渡の車輌が混在していました。私鉄の廃止、車輌の置換え、エンジン換装など様々な経緯はありましたが、 JRより私鉄でDMH17系エンジンが残る可能性が出てきました。現在DMH17系エンジンを搭載した車輌を使用している私鉄はひたちなか 海浜鉄道(旧茨城交通)、小湊鉄道、水島臨海鉄道があり、路線を部分廃止した島原鉄道でもまだ残っている可能性があります。 特に小湊鉄道は自社発注車ではありますが、全車輌がDMH17Cのキハ200型であり、いつでもその音と感触、そして匂いを体感する ことができます。非電化私鉄に残っている車輌の全てに共通するのはDMH17Cエンジンということ。奇しくもDMH17Hの車輌は1輌も 私鉄にも残ってないのです(関東鉄道に行ったキハ35系はエンジンを換装されています)。DMH17Hよりも前の世代のエンジンが 残ると言う皮肉さ。私鉄ならではの事情が古いエンジンの「残存」に寄与することとなったのでした。

 DMH17系エンジンの功罪は様々な面で言われていますが、大方次のような事が言えるでしょう。「功」の面では徹底した統一の ため、国鉄内はもとより、非電化私鉄同士でも車輌のやりとりや譲渡があっても整備や使用に問題がなかったこと。また、1形式で 大量の車輌に搭載できたことで、使用や整備のノウハウも蓄積されて機関の信用度が高まったこと。そしてこれによって気動車の 全国的な発展を成し遂げる事が出来たことがあげられます。一方「罪」の面では、ほぼ全ての車輌が同じエンジンに統一され、 大量生産されてしまったため、新型エンジンの開発が遅れてしまったこと。もともとの設計が古かったものの、登場を早める あまりに改良をせず性能を犠牲にしたこと。そして、これらによって気動車の性能向上を大きく遅らせることになったことが あげられます。
 とはいえ、自動車業界においてはとっくの昔に消えてしまった、昔の「ヂーゼル」エンジンの音がまだ鉄道に残っていると いうのも貴重なものだと思います。DMH17系エンジンは180馬力という、現在では非力なエンジンですが、音に関しては非力な分、 小さ目となっておいて現在の気動車の音と比較すると「静かだ」と感じてしまいます。特に直結運転をしたキハ58系などでは 会話も出来るほどです。しかし、もうこのように全力を出し切ることも少なくなりました。95km/hで走るのも、「カラカラ」という アイドル音を聞くのも、あとわずかなのかもしれません。
きはゆに資料室長