通常鉄道の写真の撮影場所というのは、当然のことながら線路とほぼ同じ高さか近隣の建物に上がった程度、風景の中に
鉄道がある、という場合でも100mぐらい山を登ったところが限界と言えるでしょう。これ以上高い場所自体なかなかあり
ませんし、それだけ離れると鉄道の目的物が小さくなりすぎて「鉄道写真」としての価値がなくなってしまいます。しかし
例外的に価値が出る場合があります。それが航空写真です。 航空写真は皆様もおそらく一度はご覧になったことはあると思うのですが、学校などで人文字を作る場合や不動産の パンフレットで使用するような低高度で撮影した物と、地図や大規模開発で使用するために高高度から撮影したものがあり、 低高度の物はヘリコプターなどから撮影されることが多く、写真の画も地面と平行ではなく鳥瞰図のようになります。一方、 高高度の物は測量目的である場合が多いため、水平飛行をする飛行機の腹に取り付けられたカメラで撮影し、写真は地面と 平行となるのが基本です。最近では人工衛星からの撮影などもあって、これらを組み合わせた「グーグルアース」では世界中の ほぼすべての地域をパソコン内で見ることが出来ます。 グーグルアースには「フライトシミュレーター」の機能もあり、それを 使えばパソコン内で世界中を遊覧飛行することができます。ただしその場合も地表は航空写真を敷いただけの平面に起伏がついて いるだけですのでやや違和感があります。また、写真の撮影時間による影の影響も強く出ており、写真の隅の部分は中心部からの 「ひずみ」も生じているので写真の接続部分では奇妙な建物が多くあったりします。そして最大の問題は全世界をカバーする反面、 日本国内でも航空写真による詳細な画像がない地域も多く、要望に応えられない場合もあります。たとえば飯田線の沿線、特に 山間部のほとんどは衛星写真のみとなっていて、人家はもちろん、線路も判別できません (判別不能区間は野田城〜羽場)。 グーグルアースの話題でスペースをとってしまいましたが、本題は国土地理院がホームページで公開している航空写真です。 国土地理院のホームページは地図の閲覧などそれなりに楽しめるのですが、航空写真の閲覧も出来ます。しかし以前航空写真は 近年の物がほとんどで、一部の都市部においてのみ米軍が戦後撮影した写真がある程度でその間の写真は公開されておらず、 写真が公開されていない地域もありました。しかし最近になって全国の写真が閲覧できるようになり、同時に幅広い時期の写真も 閲覧できるようになりました (例外もありますが...)。 国土地理院の航空写真 (正しくは空中写真) は戦後米軍による撮影のものから現在の物までありますが、撮影の意図や需要に よって撮影高度やルートが異なっています。また、気象条件や撮影時間によって写真の「出来」に差があり、目当ての地域や 時期のものがあっても見たいと思うものがよくわからなかったり、場合によっては見られなかったりすることもあります。写真の 大半が白黒で、カラーは都市部などごく一部に限られていることも残念なところです。しかし時には思いもよらぬ発見が出来る こともあります。 鉄道趣味において航空写真をどのように使うのか。おそらく2通りの使い方があるように思われます。ひとつはある路線の姿を 見ること。特に廃線など現在見ることの出来ない路線がどのようになっていたか、ということを知るにはもってこいの使い方です。 もうひとつはある特定の鉄道施設について見ること。たとえばある駅や機関区、操車場などの様子を見ることで、写真が極めて 低高度で撮影されていれば配線などもわかることがあります。もちろん、航空写真ですのでどれがどの形式の車輌か、などと いうことはわかるはずがないのですが、貨車や列車などはだいたいが判別できます。もっとも、線路は道路と区別がつきづらく、 場合によっては川とも区別がつきにくいという難点もありますが、鉄道独特の緩やかなカーブや川に架かる橋などを探せば 大方の目星はつくはずです。一番いい方法は同じ場所の地図 (できるなら国土地理院発行の地形図が望ましい) を手元に置き、 写真と地図とを照らし合わせて線路や駅を探すやり方です。そうすれば線路や駅の場所は簡単に見つかりますし、鉄道だけでなく 町の変遷も知ることが出来ます。さて、ここで新しくなった国土地理院の航空写真閲覧システムでした「思いもよらぬ発見」に ついて紹介したいと思います。 システム変更で時期に融通ができたということならば、と早速調べてみたのは根北線でした。短命に終わり、今やその姿はほぼ 消え去っている路線は何とも言えない魅力でマウスを動かしたのでした。そして調べると写真があった!しかし戦後直後と廃線 直後のものぐらいが一番現役時代に近い物で、現役時代の写真はないようでした。しかし根北線は戦前に建設が始まったため、 昭和23年という戦後直後の写真にも不自然に道路と並行するものが写し出されており、それが根北線となるものだということが わかりました。廃線直後のものもまた、路線の様子がわかるものとなっています。単線で路盤も貧弱であったため、当時の地図が なければわかりにくいかもしれませんが、斜里駅からまっすぐに伸びている線路状のものが根北線です。しかし最大の発見は これではなかったのです。 根北線は戦前に斜里と標津線の根室標津を結ぶ路線として計画され、着工されました。しかし折から戦局が激しく、そして 悪化するにつれ工事は中止されてしまいました。昭和30年代に入ってようやく工事が再開され、昭和32年に途中の越川までが 開業しましたが、戦前に着工していた部分を含め、それから先は再び工事に着手することなく、ごく一部で用地買収や測量が 行われた程度でした。開業した区間もあまりの人家の少なさから開業から13年後の昭和45年に廃止となってしまいました。 現在根北線の遺構としては、奇しくも戦前に作られ一度も使われることのなかったコンクリートのアーチ橋が残っているぐらいで、 他は畑や原生林に戻り、戦前着工の未開業部分についてはその痕跡すらほとんどわからない状況と言われていました。今回も そのようなことを念頭におきながら、せめてあのアーチ橋ぐらいは写っていないかと思い写真を調べて見ると、なんと次の駅で ある上越川駅付近ぐらいまではどのようなルートであったということがわかったのです。現在アーチ橋は国道の拡幅工事のため 一部が取り壊されていますが、この当時はすべてが残り、暗い森の中で白く輝いていました。そしてそのアーチの前後の森に 不自然に伸びる線路のようなものがあるのです。恐らくこれが戦前に工事を行った未成区間なのです。工事のため木々は伐採 されましたが、伐採されてからもとの森と同じ状態に戻るには時間がかかり、まだその痕跡がわかる状態の時期に写真が撮られ たのです。さらにこの未成区間の写真は昭和40年であるため、隅には現役当時の越川駅 (らしきもの) まで写っているという オマケ付きでした。 それではこの根北線を例にして、航空写真の閲覧方法をご紹介します。まず国土地理院のホームページにアクセスします (http://www.gsi.go.jp)。メニュー画面の一番下にある「地図・空中 写真・地理調査」をクリックします。次に「国土変遷アーカイブ」をクリックします。上下どちらでもいいのですが、「空中写真 を見る」をクリックします。検索方法の選択画面が出てきます。国土地理院の地形図になじみのある方ならば「経緯度/索引図 から検索」が便利です。今回もこれで検索します。20万分の1の地形図名の表が出てくるので、北海道にある「斜里」をクリック します (斜里は網走の下ですよ)。次に5万分の1と2万5千分の1の地形図名の表が出てきます。実際にクリックするのは2万5千分の1 のほうです。根北線が関連するのは「斜里」「朱円」「瑠辺斯岳」で開業区間は前二つです。ここでは「斜里」をクリックして みます。撮影日を検索する画面が登場します。何も入力しなくても大丈夫なのですが、今回は「 〜1972」と入力します。なお、 廃線などの調査をする場合は、開業・廃止の年から数年は余裕を持って入力した方が良いようです。すると左に現在の地図と 写真が撮影されたポイントが出てきます。今回は駅付近のマークをクリックしてみますが、マークの色によって撮影年度が大きく 区別されているので、別の調査の際はこのことを頭に置いてください。マークをクリックすると別画面で縮小されたガイド写真と 閲覧用の写真が出てきます。これはまだサイズが小さいので「200dpi」をクリックして大きい写真を呼び出します。スクロールを して斜里駅を見つけると不自然に伸びる2本の線が。この1本(線路側)が根北線なのです。もし目当ての写真が見つからなければ 地図上や「近隣空中写真」で探してみます。なお、この写真の撮影日や撮影高度などは「詳細表示」をクリックするとわかります。 残念ながら、この写真は保存することが出来ません(一応)。閲覧のみですので、何度もご覧になり操作に慣れてください。いずれ 保存の裏ワザがわかるかも...?! |
きはゆに室長 |