続・鉄道という「趣味」

   前回は「趣味」という範疇から見た「鉄道趣味」についてとりあげてみましたが、今回は鉄道趣味自体にいて考えてゆきたいと思います。
 一言で「鉄道趣味」と言っても、その内容は実に多岐にわたり、他のジャンルと重なる部分も多いことはみなさんの経験からもわかるでしょう。大きく分類すれば@見るA集めるB利用するの3態に集約されると思うのですが、まだこれら以外の分類が存在するかもしれません。とりあえず今回はこの3つで話をすすめたいと思います。

 「見る」ということについては、ある意味鉄道趣味の原点のようなものと言えるでしょう。見て楽しむということは興味さえあれば年齢や性別に関係なく、経済力に関してもある程度の範囲においては問題はないと思います。「見る」ことはその対象が何であるかによって細分化されます。それが電車であったり蒸気機関車であったり、はたまた気動車であったり。その分類でも特定の形式や新旧の好みなどで細分化してゆくと、もはや一例をあげるだけでもかなりの数になりますので、対象に注目することはここでやめておきます。
 それでは「見る」方法について考えてゆきたいと思います。単に「見る」と言えば走っていたり停まっていたりする車輌を見ることとなりますが、「写真や雑誌で見る」や「テレビ・ビデオ・映画で見る」というのも「見る」ということになります。単に見る場合だと趣味人は少なくとも鉄道施設のそばまで赴く必要があるのですが、あとの2例に関しては鉄道施設に近づかなくても楽しむことができます。この点では、鉄道施設から離れた地域や自由に動けない方も楽しめる利点があります。ただし、あとの2例の場合は雑誌やビデオを購入する資金や、テレビ・映画館といった施設が必要であることが前提条件となります。もちろんインターネットで見る場合も同じです。一部こうした条件が必要ではありますが、「見る」ということは鉄道趣味の基本とも言え、最も手軽に楽しめるものと言えるでしょう。この「見る」ことは、派生して自身で写真やビデオに撮って集めることへとつながってゆきます。

 「集める」ということは、「見る」から派生して集めるようになった写真などのほか、鉄道車輌の部品、キップ、模型などがあげられます。この「集める」という分類は他の趣味と共存する色が強く、人に伝える場合それらのジャンルと混同される場合があります。たとえば鉄道写真を撮っていても、その写真が「雪景色の山間を走る列車を遠景で撮ったもの」であれば、普通の人に説明をせずに見せれば「鉄道写真」ではなく単なる「風景写真」としてとらえられる、という感じです。
 「コレクション」という分類がおいても、昔ならば他人が見てもそれなりに価値が推認されるものを「コレクション」と言っていたものが、現在ではコレクターが各自価値を見出したものであれば何でもコレクションアイテムになる時代であるため、「鉄道コレクター」になりやすい反面、収集物の価値に理解を持ってもらうには苦労せざるを得ない状態となります。これが模型ならまだしも、キップや鉄道部品などは興味のない人にとっては単なる紙くずや鉄くずにしか過ぎず、著しい温度差が生じることもあるのです。まあ、これは鉄道に限ったことではないのですが。

 最後に「利用する」ということはどういうことか、となりますが、簡単に言えば「鉄道旅行をする人」のことです。ただし、「見る」「集める」がその目的のために積極的に行動しているのに対し、「利用する」の場合は別の目的のための手段として鉄道を選択したに過ぎないような消極的な場合が多くあります。そのせいか、「旅行」というジャンルがあり、趣味が旅行と答える人が多い一方、「鉄道旅行」の場合ジャンルとしてもはっきりと確立しておらず、趣味「旅行」と回答された方の中でどれほどの方が「鉄道旅行」という意味で回答したのかははっきりとしません。日常の通勤通学に利用しているのは論外ですが、温泉に行く、はたまたカニを食べに行くなど、別の目的を果たす手段の選択肢として単に鉄道を選んだ場合も「鉄道旅行」とは言えないのでしょう。
 それでは「真の鉄道旅行」とはどのようなもののことを言うのでしょうか。最も重要なのは「車窓を楽しむこと」でしょう。鉄道旅行にとって下車駅とは、折り返し地点であり目的を開始する地点ではないのです。乗車駅から下車駅までの過程を楽しむのが鉄道旅行なのではないでしょうか。それでは日本縦断の旅や××線完乗の旅など、その駅や地点に到達することが目的とするのは鉄道旅行ではないのでしょうか。確かにそういった旅の場合、途中の経過は若干軽視されるところがありますが、テーマ自体が鉄道旅行者以外では考えられないものであり、特に長距離の移動や代替交通機関が多くある中であえて鉄道を選択した場合は「鉄道旅行」をしたと言えるでしょう。もっと早かったり安かったりする中で、やや不便でも鉄道がいいと選べば立派な鉄道旅行者です。
 ここで問題になるのは「青春18きっぷ」です。近年ではHow to本が出るなど、すっかり世間一般に知られるようになったご存知のキップですが、これを利用する人は鉄道旅行者なのでしょうか。青春18の利用者は鉄道旅行者と非鉄道旅行者の二極化されているように思われます。鉄道旅行者の場合、普通のキップではできないような乗車ルートや全駅制覇、いくつかの撮影ポイントをまわる、目的のない途中下車の旅など極めて鉄道色が濃い目的で使用されることが多いと思われます。けれども普段あまり鉄道を利用せず、さほど興味もない人が使う目的は単に安く行くことができるからというのが大半を占めるでしょう。もっとも、鉄道旅行者も変則的な乗車法をする路線までは「安価なキップ」という位置付けで使用される方も多いと思います。
 そもそも、鉄道会社にとって最もありがたい「利用する」鉄道趣味は、他の2つと連携しないことも多々あります。たとえば写真撮影の場合、ローカル線など本数の少ない路線であれば鉄道を利用して移動すると時間的なロスも大きく、撮影地も駅から離れていることも多いため自動車を利用する方も多くいらっしゃいます。車輌工場の公開の場合でも、遠方から来る方は飛行機などで移動をし、近場の方では自動車などでいらっしゃることも多いようです。集める方ならばなお鉄道を利用する比率は低くなるのではないでしょうか。奇しくも最も鉄道趣味らしい分野の方々があまり鉄道を利用しないのが現状なのではないでしょうか。

 最後のまとめとして、鉄道趣味者が今後増えるかということについて考えてみたいと思います。その昔、鉄道趣味は立派な大人の趣味として認められていましたが、現在では子供の趣味、オタク的な趣味というイメージが強いように思われます。この理由として2つのことが挙げられます。
 1つは鉄道趣味のイメージダウンです。かつて「SLブーム」や「ブルートレインブーム」の時には子供をはじめ、大勢の鉄道ファンを生み出しましたが、ルールを守らない者が出て、事故や盗難、サギ、はては列車妨害まで発生し社会問題にまでなりました。そしてこれらのブームが去ると粗製濫造のファンは別のターゲットへと興味を移し、鉄道趣味界は静けさを取り戻しましたが、その反動から新たなファンが集まりにくくなりました。もちろん、そうしたブームを決起とする反社会的行動の報道によるもの以外にも趣味の多様化、テレビゲームの登場、受験教育の過熱、少子化、さらには国鉄の赤字問題やストといった社会問題など、他にも鉄道趣味離れの原因はありましたが、社会一般によからぬイメージを与えたのも事実でしょう。
 2つ目は「趣味」自体が持つイメージの問題です。「趣味」とはそのことが好きであることが必須条件なのですが、自らのステータスシンボルを示す側面も持っています。旅行やショッピング、グルメ、カメラなど資産的にアピールできるもの、読書、スポーツ、映画・音楽鑑賞など知的・健康的アピールのものがあります。前者の場合はその趣味がある程度の資産がないとできないもので、自分にはそれだけの資産があることを示し、後者の場合は昔からあって、ある程度の知識を必要とし、かつ社会的に認められ(ある意味あたりさわりのない)健全・肯定的に受け取られやすくする効果があります。鉄道に関しては先に説明したイメージダウンにより「大人の知的な趣味」から「子供的なオタクっぽい趣味」へとイメージが悪くなっています。各分野でみて見ると、鉄道写真についてもカメラの普及により資産価値はかつてほど高くなくなり、コレクションはコレクション自体の多様化によって価値観の分散・低下で一般的に受け入れられがたくなっています。また、鉄道旅行は海外旅行・格安バス旅行の台頭により、もはや「旅行」という概念に入れられなくなりました。資産的価値もなく、知的な一面もごく限られた人のみで通用する知識ではオタクのイメージを作り出すだけでプラスには働かなくっています。
 これらから判断すると鉄道趣味の未来は実に暗いものとなります。けれども実際は増えこそはしなくとも急激な減少もせずほぼ横ばいの状態となっています。仕事が多忙のため鉄道趣味をやめてしまったベテランの一方で鉄道趣味を始めた若者がおり、社会的な騒々しいブームがない一方で静かなブームが穏やかにあったりと決して悪いことばかりでもないようです。一時はかなりイメージが悪くなったこともありましたが、変にブームが起こり再び粗製濫造ファンが発生するよりはましではないでしょうか。若干アピールしづらい面はあれども、これがなかなかやめられない。それが「鉄道という趣味」ではないでしょうか。

きはゆに室長