左にあるのは臨時急行「筑豊」の乗車案内板(でいいのかな?)。何気なく買ったまではよかったが、その実態を明らかにするには時間をかけなければならなかった。今回はその模様をレポートしたい。(若干、プロ○ェクトXを意識している点は気にしないで下さい) そもそもこの「臨時急行 筑豊」に出合ったのは5年ほど前の5月、もらった商品券を持って出かけたデパートで開催されていた鉄道部品の販売会でのこと。目当ては行き先サボであったが、値段や状態などから断念し、かわりに網棚を選び、ほかに何かないかと物色していた。すると黄色い細長い短冊状のプラ板がたくさん並べられていた。どうやら駅で掲げる列車の時刻表の一部であるようで、有名な特急列車のものも多くあった。1枚の値段はそこそこの価格。当時の私の基準ではやや割高だとは思ったが、わざわざ足を運んで網棚1枚というのも悔しいので物色してみた。そのなかで目にとまった名前の列車があった。「筑豊」。すでにローカル線好きであった私にとって、「筑豊」という栄枯盛衰の塊のような響きは強いインパクトを持っていた。自動車のナンバーなどで「筑豊」とあっても「オオッ!」と思うぐらいであった(もっとも、これは関西在住だからであって、福岡県にお住まいの方ならば何をそんなに感動するのか極めて疑問であろう)。前述の割高感もあり、やや悩んだが、結局購入することにした。 家に帰り、早速手持ちの古い時刻表でこの列車を調べてみた。当然なかった。8月の列車が10月号に掲載されているわけもなく、8月号の時刻表も1巻だけであったので、ほとんど無意味な調査であった。 このプラスチックの板からわかるのは列車名が「筑豊」で種別が「臨時急行」。運転されていたのは「8月10日から23日」までで行き先は「新大阪」。これが掲げられていた駅は「6時49分」に「3番線」から出発し、停車駅は「姫路・神戸・三ノ宮・大阪」ということ。これ以外の情報はというと、停車駅から判断してこれが「岡山」駅で使用されていたのではないかという推測のみ。あとはどこをどう見ても情報のカケラは見当たらなかった。 そんな挫折からいつしか単なる「ナゾの列車」扱いとなった「臨時急行 筑豊」であったが、思わぬところから解決の糸口が出てきた。去年岡山へと言ったときのこと、岡山駅は改良工事中で、ある番線は使用中止となっていた。たしか5番線だったと思う。そのときは何も思わなかったのだが、帰宅しあの案内板を見たときはっと気がついた。新大阪行きが3番線なのだと。現在、岡山駅の3番線は新幹線ホームとなっており、在来線は工事中の5番線(下り線)から順に吉備・津山線用の17番ホームまでとなっていて山陽本線上りホームは15番線となっている。つまり現在のホームの並びとなってからのものではなく、それ以前の時のもの。つまり、こういった大規模な番線の変更(西口から数が増えていったのが東口から数えるようになった)が行われたと推察される新幹線開業以前のものであるとわかったのである。なおかつ、終点が「新大阪」ということもふまえれば、該当する年は1965年(昭和40年)から1971年(昭和46年)までの6年間に限定される。途端に回転のよくなった私の頭は運転されていた8/10〜8/23に目をつけ、8/10を日曜、8/23を土曜と考えこれに該当する年を探すことにした。早速Excelの関数を駆使して調べたところ、1969年(昭和44年)がこれに該当した。こうなればゴールは目に見えているも同然、のはずだった。1969年8月の時刻表をどうやってみるかが最後の難関であった。ためしに行きつけの古書店を見たが当然ない。「鉄道図書館」に行ってみたが抜けていてない。こうなったら最後の手段とばかりに、図書館の図書館、つまり国会図書館へ行ってみることにした!以前に国会図書館に時刻表はあるかと問い合わせたところ「ある」という回答を得ており、ネットから蔵書検索をして確認していたこともあって、行けば確実にわかるということは知っていたのである。しかしなかなか行く機会がなかった。青春18を使う旅はしても、わざわざそれだけのために行くのはもったいない。関東に行くことがあっても別の見るところを回ると時間がなくなってしまう。そんなことで伸ばし伸ばしになっていたが、ようやく先週行くことができたのでありました!! 出会いから5年、その全容を解明すべく雨の中、国会図書館に向かい、諸般の手続を済ませ、いざ1969年8月号の時刻表を手にし、山陽本線のページを開けた。ない!? 臨時列車のページも見た。ないっ!?!? 何度もそれぞれのページを見たが、「ちくご」の文字はあっても「筑豊」の文字がなかった。「まさか、単なる書き損じ?」という不安を抱きつつ、念のため取り寄せた前年1968年8月の時刻表を手にした。恐る恐るページを見ると...「急」「筑豊」!!! あった。あったーーーー!!雨や夜行の疲れは一気に吹き飛んだ。結局のところ私の「読み」がズレており、始発の飯塚が8月9日の金曜日で岡山に着く頃は土曜日となっていた。その後の調べで年の暮れにも運転されており前年の1967年にも運転されていることがわかった。残念ながら編成表や筑豊本線内などの時刻はわからなかったが、オール2等車(グリーン車なし)全席自由席の列車だったことが判明した。しかも気動車列車だった(おそらく使用車輌は直方区)という。これも何かの縁なのだろうか?などと思う今日この頃である。時間の関係で3月ごろの運転や、1966年以前の運転については調査できなかったが、短命な列車であったことは間違いなさそうだ。おそらくこのページをご覧の方々のうち、この「筑豊」という列車を知っていたという人はおそらくいないだろう。もしご存知であれば教えていただきたい。最後に、この臨時急行「筑豊」のダイヤを紹介してこの章を締めくくることとする。
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きはゆに資料室長 |