関西人にとって1月17日という日を忘れることはできません。室長の居住地は震源から離れたところにあり、さいわい大した被害もなかったのですが当時のことは忘れられません。しかし記憶でははっきりと焼きついていることも、それを教訓として活かすことは容易ではありません。最も簡単な例を言えば、「棚の高い場所に物を置かず、食器棚なども物が出ないようにする」ということが震災後の防災例としてあげられ、実践された方も多いと思います。しかし生活を続けているとやがて物の置き場がなくなり高い場所に物を置き、物の出し入れに差しさわりのある防護用具も次第にはずされてゆき、結局震災前と同じ状態に戻ってゆくのでした。「のどもと過ぎれば...」ということわざがありますが、まさにそのとおりです。建物の補修といった生命に直接かかわるものでも「またいずれ...」と思ったとたん、「またいずれ」は「また今度」となり、ついには「まぁいいや」で終ってしまいます。震災を経験した人でもこのような状態ですから、経験をしていない人であれば「怖いなぁ」だけで終ったり「自分には関係ない」と思う方もあるかと思います。少しでも不安に思うことができた方は何でもいいですから防災対策をしてください。思ったそのときに備えをしていれば、何もしていないよりはマシです。すぐにその備えをやめてしまっても、それをしている間は一応備えをしているのですから。 一応鉄道のサイトですので、鉄道のお話もしておこうと思います。阪神大震災のときも昨年の中越地震のときも奇跡的にも鉄道の人身に対する被害は最小限にとどまりました。けれど地震は時間を選びません。場所も選びません。いつ、どこで発生するかはわからないのです。ラッシュ時に大都市の真下で発生する可能性は十分あります。たとえ沖合いの海上で発生したとしても津波のおそれがあります。スマトラ沖で発生した津波は海岸線から数百メートル離れた線路をさらってゆきました。スマトラ沖の津波は過去最大級とも言われる大きさですが、海岸線を縫うように走っている路線であればあれだけ大型のものでなくても極めて危険な状態となります。鉄道各社も縦揺れ(P波)を検地した段階で列車を停止させるシステムを導入していますが、高速列車(特に新幹線)の場合停車までの時間が問題となります。線形も問題です。振り子車輌が山間や海岸沿いを高速で通過しますが、これも揺れが加わった場合は保障はされません。撮影ポイントとしても有名な東海道本線の山崎付近は天王山に沿って大きくカーブをし、新快速が高速で通過しています。しかしこの天王山のふもとにはちょうど線路に沿った形で活断層が走っています。もちろんここだけではなく、真下に活断層が走っているような場所は多いと思いますし、山間部を中心に未調査の場所も数多くあります。地震を予知するということはかなり困難なことであろうと思います。しかし、被害を少なくする対策を講じることは可能です。いつ発生するかわからない災害に対して巨費を投じることは、旅客が減少しつつある鉄道にとって大きな負担であると思います。しかし「安全」を買うことができるであれば、「乗客の命」を守ることができるであれば、決してムダではないでしょうか。 最後に、阪神大震災で被災したJR西日本の車輌を紹介しておきます。このことは鉄道ファン1996年7月号に詳しく書かれています。阪神・阪急についてはおそらく次号以降に紹介されていると思いますので、興味のある方はご覧下さい。
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きはゆに室長 |