8時だョ!全員集合

   月日が経つのは早いもので、いかりや長介さんが亡くなって1ヶ月になろうとしています。最後のドリフ世代(放送終了は小学校2年のとき)である室長もそのニュースには衝撃を受けました。その後追悼番組として全員集合が放送されたときは、こんなんだったなー、としみじみ見ていました。ところで全員集合の視聴者には子どももいたこともあって、子どもにも親しみが持てるテーマがコントに使われていました。学校、家、ご近所、探検...。そんな中で鉄道現場のコントもあったようです。放送は1978年1月14日で『あゝさらばSL』というタイトルでした。室長はまだ1歳にもなっていなかったのでこの放送を記憶していないのですが、鉄道ジャーナル1978年4月号の「マスコミと鉄道」というコーナーで、当時TBSテレビ番組宣伝部・専門職部長の吉村忠晃さんがこの放送についてお書きになっており、その一部紹介をさせて頂くことにします。

 ・・・(略)・・・舞台にいならぶドリフターズは国鉄機関士のスタイル・中に一人、胸に白いリボンを誇らしげにしているのが、いかりや長介。「私は長いあいだ、鉄道一筋に生きてきた男であります。なんの取柄もない私にとって心の友、心の支えはSLでありました。・・・(以下略)・・・」と、今日の国鉄を象徴するような定年最後の日のごあいさつがすむと、長髪が作業帽からはみ出したヤクザな助士ふうの仲本工事が「それでは今日の良き日にあたり、いかりや機関長を祝福してささやかなパーティーを・・・(中略)・・・
 ここで舞台に”C7214”なるSLが登場するのだ。軸配置は2-C-2のデンターで、C62に似ているが形式はC72。番号の14は放送日と合わせたのだろう。大きさは高さ2m、長さ6mといったところで、幅は10センチぐらいかな。
 このC72がいかりや機関長の指令で仲本工事が旗を振り、加藤機関士うち乗って舞台上をいったりきたりの入換え作業。急ブレーキで前輪がはずれ、・・・(中略)・・・
 たまりかねた、いかりや機関長がSLに飛び乗ると、デンタ後部で異音発生。後へ回ってのぞき込んだとたん、白煙が顔に吹きつけ全身真白け・・・・・・という、例によってのドタバタ劇だが、この芝居だけで装置代150万円とか。
 うちわけはSL製造費が80万円で、これを動かすため中に12人ほどの人が入ったヨシ!・・・(中略)・・・
テレビ局では”美術”と名のつく人がこういうことをやっているのです。

 ある程度抜粋したものですが、原文のまま紹介させていただきました。この「鉄道とマスコミ」はテレビなどのマスコミが鉄道を扱う裏側を取り上げている記事で、ドリフは最終回の第6回に「気ラクに」取り上げたということのようです。なお、文中「機関長」とありますが、これは台本上こうなっていたのであって、筆者の吉村さんが書いたものではありません。本文中で「そんな職名は国鉄にないではないか、とオコラないでください!?いかりや長さんがやっているのですから」と、ちゃんとお断りがしてありますので。鉄道ファンでもある吉村さんのためにも、このことははっきりとお伝えしておきます。
 この放送があった1978年にはすでにSLは国鉄線から姿を消し、一部の専用線と大井川鉄道にしか残っていない状態でした。しかしまだSLの記憶は新しく、子どもたちにもウケた(もちろんギャグでだろうけど)ものと思います。今こうして全員集合を振り返ってみると、つくづくスゴイ番組だったんだと思います。この会を含め、大掛かりだけでなくさまざまな細工がしているセット、豪華なゲスト、生バンド、そして生放送!「お化け番組」と言わせた視聴率50%のほかに、停電やボヤ火災といった伝説も残っています。そして「最初はグー」の全国的統一、といった知られざる効能もありました。たびたびPTAとは対立していたようですが、親の中にはドリフ派もいたようですし、子どもも子どもながらに悪いことは悪いとわかっていたと思います。一応「歯ァみがけヨ」「宿題すんだか」と教育的な呼びかけ(?)もやっていましたし、親も「カトちゃんが言ってたでしょう」などと言ってしつけていたかもしれませんし。
 ドリフ大爆笑は全員集合終了後も長く続き、今年に入って新たにオープニングが撮りなおされたということで楽しみにしていたのですが、残念です。「ドリフターズ」としては活動を続けてゆくそうですが、大黒柱であり、永遠のカタキ役である長さんがいなくなってしまい少し心配な気もします。とにかく皆さん、あまり無理をしない程度に我々を笑わせてください。  

きはゆに室長