石炭車がらみ2点
 その昔、貨車に「石炭車」という種別がありました。2軸車のセム・セラ、ボギー車のセキです。まだ石炭産業 華やかりし時、「黒いダイヤ」を満載した石炭車は高度経済成長を象徴する存在でした。蒸気機関車が数十輌の石炭車を 牽引している姿を覚えている方も少なからずいらっしゃると思います。そんな日本の発展を支えてきた石炭車もエネルギー が石炭から石油に変わり、次々と炭鉱が閉山されてゆくと次々姿を消してゆきました。晩年は積荷を黒い石ではなく白い石に 変えて細々と活躍をしていましたが、これもまた1998年にその役割を終えたのでした。
 このセキ8000はセキ6000の速度向上車として登場し、石炭車最後の形式となりました。セキ8000をはじめ、セキ6000、 セキ3000などボギー車の石炭車は主に北海道で活躍をしていましたが、北海道の炭鉱が閉山されると一部は本州に渡り、 美祢線からの石灰石輸送に従事しました。かつて北海道では冬季に石炭が凍りつき、荷下ろしの際に車体を叩く「ガンガン 叩き」によってベコベコになっていた車体も、本州に移ってからはきれいなままでした。ただ、黒い車体が白っぽくなり ましたが...。なお、石灰石輸送はこの後もほぼ同じ構造であるホキ9500により続けられています。(撮影96年)
 一方九州ではセムやセラなど2軸車が使用されていましたが、おそらくこれは荷下ろしの方法の違いによるものと 思われます。ボギー車ではホッパ車のように車体下外板が開いて車体の両側に積荷を落とすようになっていましたが、 2軸車ではレールの間にあるピットに落とすようになっていました。九州の炭鉱は北海道よりも一足先に閉山となってしまい、 この2軸車もJR線上ではほとんど見られなくなったのですが、最後の大規模炭鉱であった三井三池炭鉱では採掘した石炭を 近隣の発電所へ供給するための専用線があり、そこで見ることが出来ました。これが三池坑で積荷中の石炭車です。 閉山間際ということで炭鉱設備を中心に撮影しており、マトモに石炭列車を伺えるのはこの1枚だけでした。今考えると もう少し列車の方にも注意すべきであったとつくづく思います。                      (撮影97年)