C58 データ 

C58の概要
 機関車にはさまざまな用途があり、形式を重ねるごとに単純に性能が良くなり、大型となるものではありません。C58も形式では急行用のC57のあとですが、ひとまわり小さく力もこれに及びません。これはC58が急行用ではなく、ローカル線の貨客両用に使用できるように設計されたためです。C58は中型機関車として8620・C50の流れをくむ車輌ですが、軸重は軽く、出力は強くなりました。これは従輪を採用したこととボイラー圧を上げたことに由来します。また、箱型動輪や一体型ドーム、密閉式運転台などの装備によって外観も近代的となりました。特に密閉式運転台はC58で最初に導入され、寒冷地での防寒や乗務員の転落防止、そして戦時中の灯火管制(空襲を防止するために夜間灯りを漏らさないようにすること)に役立ちました。しかし蒸気機関車の運転台は40℃を軽く超えるような場所であるため、温暖な地域の乗務員には不評で、曲線部分で機関車と炭水車の間にはさまれるという事故も起こりました。
 C58は一応旅客機関車に分類されますが、事実上旅客も貨物も、平坦線も勾配線も使用できる万能機関車で、規格の低い丙線まで使用できました。動輪は貨物用と旅客用の中間の1520mmですが、ボイラー圧は当時最高の16kg/cuとしたことで高い性能を得ています。配置は全国的に行われ、旅客、貨物問わず活躍しました。その性能の良さから戦時中に25輌が軍に供出されタイ・ビルマ方面に送られましたが、そのころには連合軍の反撃が本格化してC58を載せた輸送船も撃沈され、現地に到着したのは10輌程度でした。戦後残ったものは現地に残され、のち数輌がタイで活躍しているのが報告されています。
 昭和20年だけは製造されなかったC58も終戦の翌年から製造を再開し、国内に残っていた車輌も含め戦前と変わらぬ活躍を続け、結果8620やC50を入換用に追いやることとなるのでした。なお、戦後製のC58は設計変更がされていますが、性能に変化はなく外観も炭水車の形状が少し変化したにとどまっています。昭和30年代に入り、ローカル線旅客列車が気動車化されるようになるとC58は貨物主体の運用になってゆきました。しかしディーゼル機関車は主要幹線に使用され、特に丙線など軸重の制限がある路線に入ることができず、入ることのできる車輌は出力不足であったためC58は比較的安泰に過ごしていました。けれどローカル線の貨物減少、気動車化の本格化、丙線に入線のできるDE10の登場により廃車が始まり、最後のグループの1形式となって全廃されました。

性能データ 炭水車を含む
全長
全高
自重(戦前車/戦後車)
軸配置
18275mm
3900mm
102.9/100.2t
データ
使用蒸気圧
出力
最高速度
軸重
16kg/cu
880馬力
85km/h
13.5t
シリンダ径
動輪径
製造期間
軸距離
480mm
1520mm
昭和13年〜22年
3470mm