C56の概要 |
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簡易線用タンク機関車として登場したC12はこれらの路線で好評を博していましたが、簡易線の中には路線長の長いところもあり、タンク機関車ではどうしても不便な路線があるのも事実でした。そこでこのC12に炭水車をつけ、デンター機関車としたのがC56です。そのスタイルもC12の後部炭庫と側面の水タンクを撤去して炭水車をつけ、おまけとしてデフレクター(除煙板)をつけたものとなりました。当時は箱型動輪が出始める時期だったのですが、C12との部品共通化のためか同じスポーク動輪を使用しています。また、炭水車はバック運転の際に後部見通しの確保のため重量上2軸車でもよいのですが3軸車とし、両サイドも切り取られた独特の形となっています。完成後は小海線、日高本線、七尾線、木次線といった100kmあたりの路線に配備されました。 しかし時代の流れはC56に数奇な運命を与えることになります。太平洋戦争がはじまろうとしていた昭和16年、当時日本軍はフランス領インドシナ(現在のベトナムなど)に進駐し(この当時フランスがドイツ軍に破れたため同盟関係にあった日本が戦闘なしに進駐したと思われる)、ここを拠点に南方へ進軍する際に使用する鉄道の機関車として規格の低い線路でも使用できるC56に注目されたのです。最前線の鉄道ということで軌間は1mと計測しやすくし、それに合わせてC56も1m軌間に改造されました。この供出は90輌でこれはC56全体の生産数の半数を超える数となっています。そのほとんどはタイ・ビルマに送られ、映画「戦場にかける橋」で有名な泰緬鉄道にも20輌が配置されました。戦後供出機関車の多くが行方不明なった一方、このC56に関しては鉄のカーテンの中になかったことから特にタイでの活躍はよく知られることとなりました。タイでは1980年ごろまで使用され、最後の3輌のうち1輌は「戦場にかける橋」のモデルとなったクワイ河畔に保存され、残りは日本に奇跡的に帰国を果たし、1輌は靖国神社に、もう1輌は大井川鉄道で動態保存されています。なお、C56にはこれとは別に樺太庁に属していた車輌があり、昭和18年の合併によってC56-161〜164となりました。しかしこちらも戦火により現地に取り残されることとなり、鉄のカーテンの向こう側で消えてゆきました。 戦後残された70輌は簡易線で活躍を続けましたが、旅客列車の気動車化が進むと貨物主体となり、貨物の縮小によって活躍の場が少なくなってゆきました。やがて簡易線用ディーゼル機関車DD16の登場はC56にとって致命的となり、廃車されてゆきました。しかしラストナンバーの160が動態保存され、使いやすさと軸重の軽さからJR西日本管区のみならず、いたるところでイベント運転がされ、その小さな体で今も蒸気機関車を伝える貴重な役目を果たしています。 |
性能データ 炭水車を含む | |||
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全長 |
全高 |
自重 |
軸配置 |
14325mm |
3900mm |
65.7t |
1-C |
使用蒸気圧 |
出力 |
最高速度 |
軸重 |
14kg/cu |
505馬力 |
75km/h |
10.6t |
シリンダ径 |
動輪径 |
製造期間 |
軸距離 |
400mm |
1400mm |
昭和10年〜14年 |
3800mm |