C51 データ 

C51の概要
 C51は登場時18900を名乗っていましたが、これは8900型機関車をモデルにしたためで、昭和3年に製造された282からはC51で番号が付けられ、18900を名乗っていた車輌も改番されました。C51は速度と牽引力増加のために動輪とシリンダ径を大きくしましたが、ボイラーの容量は8900と同じにしたため重心が上昇してしまい、これを防ぐためにボイラー径を小さくしました。なお、動輪径は8900が1600mmであるのに対しC51のものは1750mmで、これは当時の狭軌鉄道では最大で、以降に登場する大型旅客用デンター機関車の標準となりました。
 特急・急行用として設計されており、大正から昭和の初めまで東海道・山陽本線の花形として活躍しました。昭和3年にC53が登場すると地方線区へ移るものも出始めましたが、炭水車の後ろに水槽車をつけて長距離運転をする活躍もありました。日中戦争が始まり、中国大陸を占領するようになると占領地での鉄道輸送のために国内から機関車を供出させるようになり、C51も16輌が9600などと一緒に広軌に改造されて中国へ渡ってゆきました。9600は1980年代に発見されましたがC51に関してはいつどこで廃車になったかは不明のままです。
 戦後は特急や急行で使用されることもなくなり、大幹線での使用もほとんどなくなりました。ローカル線で使用される車輌もあり、このような路線では貨物列車の牽引も担うことになりました。車齢も古く、大型機関車であることからディーゼル化が進むと廃車が始まり、数も8620より少なかったこともあって昭和40年に入ることにはほとんどが廃車されていました。しかし化粧煙突に大きな動輪といった優美なスタイルや数多くのお召し列車に活躍したこともあり、現在も好まれる方の多い機関車となっています。

性能データ 炭水車を含む
全長
全高
自重
軸配置
19994mm
3800mm
113.8t
2-C-1
使用蒸気圧
出力
最高速度
軸重
13kg/cu
1040馬力
100km/h
14.6t
シリンダ径
動輪径
製造期間
軸距離
530mm
1750mm
大正8年〜昭和3年
3800mm