105系電車

105系電車とは
 1970年代の終わりごろ、地方ローカル線ではまだ釣掛式の旧型国電が活躍していました。しかし車齢はすでに30年を越え、40年を越えた車輌もあり客室サービス、列車速度、車輌・線路両面の保守などの面で新性能電車への置換えが急務とされてきました。しかし新性能電車は電動車(モハまたはクモハ)を2輌1組として運用するユニット方式であったため、最低でも電動車は2輌連結しなければならず、コスト面で大きな問題がありました。そのためこのユニット式を改め、旧型電車で使用されていた1M方式(電動車1輌に必要な機器をそろえる方式)を再び使い2輌編成でも効率よく運転できる電車が登場しました。それがこの105系電車です。
 105系電車は同系列でありながら3扉の車輌と4扉の車輌があり、番号で区分されています。3扉の車輌は新製ですが、一方4扉の車輌は103系電車の1000番台から改造された車両が大部分を占めています。床下機器は1M用に新設計されたコンパクトなものが使われ、103系から改造された車輌も基本的にモーター以外の高電圧機器は新しいものに換えられています。また、クハ105はクハ103-1000の雰囲気を色濃く残す車輌となっており、本家が消滅してしまった今日では貴重な存在となっています。
 105系が登場したのは1981年で宇部新川と府中に配置され、それぞれ宇部・小野田線と福塩線で活躍しました。宇部・小野田線では2輌編成を基本としていましたが、福塩線では4両を基本編成とされ、1M方式であるにもかかわらずモハとサハが製造されていました。このモハとサハは数年後それぞれクモハとクハに改造され、3扉車輌であるため0番台に追番されました。同じような問題を抱えていた路線として飯田線がありましたが、こちらは路線長が長いためロングシートの105系ではなくセミクロスシート車の119系が投入されました。
 1984年には和歌山・桜井線の電化にともない4扉のクモハ105・クハ104の500番台とクハ105が登場しました。その後登場する105系は103系からの改造車のみになりますが、サハの運転台取付車やクハを改番しただけのものなどバラエティーに富んだものとなり、それぞれ番号で区分されました。
 JR後は事故廃車となった車輌の補充として改造した車輌が1輌あったのみで、増備はされていません。減少は前述の事故廃車以外は国鉄末期に改造された仙石線の4両が廃車となっただけで残りは宇部・小野田線、福塩線、和歌山・桜井線のほかに可部線や伯備線、宇野線といった岡山近郊と紀勢本線の一部にまで活躍の場を広げています。
 (空欄が多い点はご了承願います 判明しだい順次更新してゆきます)


105系電車
クモハ105-0番台
クモハ105
100・500・600番台

クハ104-0番台
クハ104
500・600番台

クハ105

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